ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

柔道讃歌 貝塚ひろし

2011-05-24 12:10:00 | 

厳しくて、何が悪い。

今でも本気で、そう思っている。親しい友人のみならず、知人からも厳しい人だと云われることが多い。言外に厳しすぎると、咎められていることも、ままある。

確かに厳しいだけではイケナイことも分っているが、分っていてても中々和らげることが出来ずにいる。出来ない最大の理由は、やはり厳しいことが必要だと本気で信じているからだ。

私は欠点の多い人間だ。子供の頃から手間のかかる問題児であった。泣き虫で甘えん坊で、その癖短気ですぐに手を出すから、喧嘩が絶えない。しかも喧嘩が弱いくせに、簡単に切れるせいで先手必勝で勝つこともある。

勝っても、代償を求めるでもなく、成果を誇るでもなく、むしろ自己嫌悪に追われる難儀な子供であった。思い出すと、勝った喧嘩でも「御免、ゴメン」と謝っていた。首を絞めちゃったことが汚い手口だと自覚しているのに、負けたくなくて締めちゃったからだ。

つくづく、自分は馬鹿者だと、首をうなだれてトボトボと帰る気持ちの何と惨めなことか。

そんな私が成長するきっかけは、間違いなく厳しい体験であった。朝飯を吐いても許されず、再び走らねばならぬ厳しさ。先輩に怒鳴られ、しばかれ、傷む横っ腹を抱えながら走りぬいた最終日のランニング。

苦しくて、涙さえこぼれ、悲鳴を上げたいほどの辛さに耐え抜いたからこそ、今の自分がある。怠け者で、自分に甘いことが、これほど自分をダメにしていたとは思わなかった。厳しさに耐えられたからこそ、分った自分の情けなさ。

鉄は真っ赤に熱して、火花を飛ばすほどに叩かれてこそ酷Sになる。人もまた同じこと。

だから人生には厳しさが必要不可欠だと信じきっている。

優しさが不要だと思っている訳ではない。他人からの優しさなくして、今の自分がないことも分っている。でも、優しいだけではダメだとも思っている。厳しさの裏づけあってこその優しさだと信じている。

そんな私が、いささか後悔しているのは、ライバルを持たなかったことだ。私が青春の情熱を傾けた登山は、他人と争うのではなく、自然と対峙する自分自身との闘いであった。

共に山を登る友人は、ライバルというより同士に近い。友達は大切だが、人を成長させるにはライバルが必要だったのではないか。その点、私にはまだまだ厳しさが足りない。そんな疑念を拭いきれない。

だからこそ、表題の漫画は忘れられない印象がある。主人公である巴突進太(トモエ・トッシンタ)に師が叫ぶ「男を成長させるのは友ではなく敵である」と。

その信念ゆえに、師は突進太のライバルのコーチとして立ち塞がる。その師に対して母子で立ち向かう主人公の姿が清々しい。ちなみに、この主人公の母は、女三四郎と謳われ、シャチと呼ばれるほどの厳しいおふくろさんでもある。

ただ、その作品中で使われる必殺技は頂けない。なんだよ、あの天地返しって。そのせいか、TVで実写化された際の、柔道の試合の場面のしょぼさに幻滅した記憶がある。漫画だと迫力満点なんですけどね。

コメント (10)
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