人として信用は置けない。
だが、その将棋は間違いなく強かった。どうしようもなく、不可解なくらいに強かった。アマは総なめし、プロ棋士との対戦でさえ大きく勝ち越している。しかも、当時脂の乗り切った高段位のプロ棋士相手にさえ連勝する凄まじさ。
その将棋は異形の型であり、江戸時代の棋士に近いと評される。序盤でもたつくが、終盤の追い込みの迫力は、プロ棋士でさえも黙り込ませる。
これだけの実力を持ちながら、決してプロ棋士界入りを許されなかったのは、その私生活のだらしなさにある。
人妻との駆け落ち三回、店の金の持ち逃げは7回、寸借詐欺なら数知れず。とにかく金にだらしない。人の信頼を裏切ることへの呵責など、ないに等しいろくでなしである。
何度も立ち直ろうとした。人妻に恋慕の末駆け落ちするが、そのための資金は恩人から任された店の金庫から盗み出し、あげくに恩人の新車までも転売する。
将棋から手を洗おうとしたが、競馬や競輪、果ては飯場での賭場にまで手を出し、生活を破綻させ、見るも無残な世捨て人の姿になっても、夢に見るのは将棋のことばかり。
どうしようもなくなって、最後にすがるは、恩人の許。そこでの賭け将棋で糊口を凌ぎ、嫌われ軽蔑されながらも再び賭場に立つというから、呆れて物が言えない。
それゆえ、晩年は悲惨であった。最期の駆け落ち相手に見捨てられ、40台の半ばで自殺に近い病死。その葬儀も、ごく限られた人たちだけが参列するのみ。
だが、表題の著者が言うように「小池の人格と、小池の将棋はべつもの」だと云わざる得ないのは、将棋の実力が飛びぬけていたからだ。忘れ去られるには、その業績は巨大すぎる。
将棋の世界で残した戦績は異様に巨大だが、それを上回る人としての負債の大きさが、世間からの真っ当な評価を妨げている。
そんな異端の棋士に注目し、個人的に支援もし、必然裏切られもしたのが作家の団鬼六氏であった。団氏本人も、官能小説家であり、SM小説の大家でもある。必ずしも世間から高い評価を受けているとは云いがたい異端の作家だ。
実際、スケベな私でも、団氏のSM小説は読みきれない。嗜好が違いすぎて、楽しむことが出来にないからだ。だが、作家として数多くの作品を書き、それなりに読者を持っていた人であることは間違いない。
団氏本人は、SM嗜好を実際お持ちなようだが、社会人としての真っ当な顔も保持していた。そんな団氏だからこそ、異能の棋士・小池重明を惜しむ気持ちを捨て切れなかったのだろう。
本来、世間から唾棄され、忘れ去られて当然の人である。しかし、その将棋は、将棋だけは世に残すだけの価値はある。そう考えて、世間から、棋界から、家族からさえ嫌われて、消え去るはずの小池重明の生涯を書き残す気になったのだと思う。
将棋に興味がなくても、この異端の棋士の物語は読んでみて損はないと思います。機会がありましたら、是非どうぞ。なお、団氏は先日、お亡くなりになりました。SM小説に興味がない私には、表題の作こそ代表作でした。