ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

土下座報道に思ったこと

2011-05-25 15:33:00 | 社会・政治・一般
その人の本性が見たかったら、緊急時の態度をみるのが一番分りやすい。

私自身の経験からいっても、かなり説得力がある。なぜなら、私は予定外の緊急時にこそ、慌てふためき、喚き散らし、不様な姿を曝していたからだ。

そのことをはっきりと自覚したのは、登山中であった。自然という奴は、ある意味誰にでも平等に過酷だ。背負うザックの重さに疲れ果て、予定外の荒天に気持ちを塞がれ、気持ちは沈み、膝を抱え込んだ情けない奴が私だった。

同じ状況であっても、笑顔を振りまき、率先して雑用をこなす奴もいる。その姿が羨ましかった。自分もそうなりたいと切望した。緊急時にこそ、皆から頼られるような人間になりたい。そう、切に願ったのは、十代後半だったと思う。

あれから30年あまり。少しは理想に近づけただろうか?

そんな、情けない自分を覚えているので、いささか忸怩たる想いはあるのだが、それでも敢えて言いたい。

あんたら、あまりに不様だぞ。

誰かと云えば、東京電力の幹部たちに土下座を求めるマスコミ様だ。なにを偉そうに、土下座を求めているのか。

福島原発の放射能漏れを受けて、住み慣れた家を離れねばならぬ住民たちが激高するのは、まだ分る。彼らには憤る根拠がある。ただ、行き過ぎだとも思っている。

福島原発周辺には原発御殿とまで揶揄される立派な家が少なくない。たいして産業がなかった福島に原発が仕事をもたらしたのは、まがうことの無い事実だ。だからこそ、同じ福島であっても、原発周辺の家屋は他の地域より立派だった。

それが今回の放射能漏れで砂上の楼閣と化したことは事実だが、原発により豊かな暮らしを得ていたことを自覚している住民は、あまり騒いでいない。そのことは、マスコミも報じていたはずだ。

ただ、原発とは無縁に生活していた周辺住民が憤るのは分る。でも、求めるべきは土下座ではなくて、今後の生活保障だと思う。その点、東京電力の対応は遅すぎるし、不安から怒りを招いたのは自業自得だとも思う。

でも、なんでマスコミまでもが偉そうに土下座を求めるのだ?何様のつもりなのだ。勘違いも甚だしいと思う。厚顔無恥な民主党政権の対応も、東電同様にヒドイと思うが、菅総理にも土下座を求められるのか、マスコミ様はよ。

いい気になって、弱い者虐めをしていると、いずれ跳ね返ると思うね。あの土下座報道くらい、気分の悪い映像は久々だった。恥を知れと思うぞ。
コメント
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