美人薄命という言葉は好きではない。
人の生き死にを、美人などという主観でくくって欲しくない。死というものは、最も平等で、情け容赦の無いものだと思うからだ。
先月末、私が十代の頃に人気を博したキャンディーズという三人娘の一人、スーちゃんこと田中好子さんが亡くなった。「普通の女の子に戻りたい」と一度は引退したが、後に女優として再び芸能界に戻ったことは知っていた。
もっとも芸能音痴の私のこと、女優としての彼女のことはまるで知らない。だからといって、キャンディーズ時代のことも詳しくは無い。特にファンでもなかったし、あまり関心はなかった。ただ、ヒットした歌は知っているし、当時から話題になることが多かったため、記憶には残っている。
あの頃、友達たちと三人のうち誰が好きか、などという他愛無い会話をしたことも覚えている。正直言えば、どの娘もタイプではなかったが、強いて言えばスーちゃんだった。
理由は単純で、小学生の頃から世話になっていた教会のシスターに似ていたからだ。
転校が多く、いささか情緒不安定であった私を心配した母が、半ば強引に参加させたキリスト教の団体の少年部担当のシスターの一人が、スーちゃんに似ていたFさんだった。
なかなか大人に懐かない私が、真っ先に懐いたのがFさんだった。今にして思うと、男あしらいの上手い女性だった。意地っ張りで、素直になろうとしない私を巧に操った。
命令されると反発し、無理やりやらせても、すぐサボる問題児が私だった。でも、Fさんが、困ったような顔つきで「ちょっと、助けてくれる」などと私に頼んでくると、さすがに断れなかった。
ちょっとならイイヨ、などと偉そうに返事していた私だが、内心は嬉しかった。ピアノが上手で、この人の演奏する賛美歌ならば、私は喜んで歌った。
でも、賛美歌なんて本当は退屈だった。そのことを察していたFさんは、礼拝の後で当時人気があった欧米のポピュラーソングを教えてくれた。
ジョーン・バエズやピーター・ポール&マリーなどは、Fさんのピアノで教わった。哀しい調べの「ドナドナ」が反戦ソングであることも、Fさんから教えてもらった。
愛する人を戦場に奪われる哀しみを語ってくれたFさんは、私がマルクス主義や毛沢東語録に夢中になっていることを、少し心配していたことが、今にして分る。
理屈よりも情理を大切にする人だった。あの頃、教会のメンバーは学生運動に関心が強く、十代前半の私もその熱気に煽られていた。でも、Fさんは、そんな私に左派的でない本も読むことを強く薦めてくれた。
私が当時インテリの必修といわれたロシア文学だけでなく、欧米の古典文学を理解不十分ながらも読んでいたのは、Fさんの影響が大きい。
以前書いたが、Fさんはボクサー上がりの学生運動家と結婚し、反体制活動家であった彼を区役所に就職させてしまった。その後、通勤に便利な場所に住まいを替えてしまったので、教会の活動にも姿をみせなくなった。
今だから分るが、Fさんは夫を政治活動から遠ざけたかったのだと思う。そうえば、私が高校で山登りを始めたことを、誰よりも喜んでくれたが、やはり同様な思惑があったのだと推測できる。
当時、左派学生政治活動は内ゲバが続き、社会主義が人々を幸せにしないことを察知していたのかもしれない。私自身、高校の時に教会からも、また左派学生運動からも遠ざかってしまい、気がついたらFさん夫婦とも疎遠になっていた。
Fさんは、私にとって恩人に当たる人だ。消息は知らないけれど、間違っても美人薄命であって欲しくない。たとえ年老いても、柔らかな情愛溢れるFさんは魅力的な人だと思うから。