ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

カイジ 福本伸行

2011-11-22 12:17:00 | 

「三回に一回、お客様に勝って頂けば良いのです。」

そう某パチンコ店の経営者から言われた時、ドキッとしたことは今も忘れずにいる。たしかに私の経験に照らしてみても、そうだと思う。

パチンコにはまる人は結構多い。かつての私もそうだった。高校2年の頃から、大学浪人の冬までのほぼ2年間、パチンコには熱中していた。

授業をさぼって朝一でパチンコ屋に入り浸り、モーニング台で数千円稼いで登校するほど熱中していた。ギャンブルの恐ろしいのは、この熱中させてしまうことにある。

勝てば金になる。だから私は熱中していた。事実、それだけ熱中する価値はあったと考えていた。だが、それとはなしに、不安にも感じていた。

何故、私はこれほどまでに熱中するのか?

私は熱しやすく醒めやすい気性だ。パチンコだって、データーを集めて念入りに下調べをした上で勝負に挑む冷静なギャンブラーであったつもりだ。勝っているつもりでいたが、貯金が増えないことに違和感を感じていた。これはおかしい。

どうも何かおかしい。いろいろ思うところがあり、勝ち負けではなく、収支計算で記録につけてみて分ったのは、時給にして700円程度の稼ぎでしかないことだった。

私は勝つため、稼ぐためにパチンコをしているつもりだった。しかし、冷静に記録を判断する限り、かろうじて勝っているだけで、自転車操業に近い儲けの乏しい結果でしかない。一日あたりの利益は1000円以下が普通で、月のトータルでも、3万円を超えることはなかった。

一日7時間ちかくをパチンコ台の前で過ごした成果が、月に3万に満たないのでは、喫茶店のボーイのほうがましだった。どうも、真っ当に仕事をしたほうが稼ぎは良いと分った。では、なぜパチンコに勝っていると錯覚していたのか。

どうも、理性が麻痺していたとしか思えない。そう判断してからは、パチンコから手を引いてしまった。どうも私もギャンブルの罠にはまっていたようだ。

そう判断したのは、大学受験の本番も迫る1月のことだった・・・ギリギリ間に合ったというべきか。一応、第一志望の大学に合格したのは僥倖だったとしか思えない。

以来、パチンコを始めとして、合法違法を問わずギャンブルからは逃げ回っている。だからこそ、後年パチンコ屋の経営者から「三回に一回、客を勝たしてあげれば、客は勝ち越していると勘違いしてくれます」との科白が胸に響いた。

ギャンブルの持つ陶酔感にはまったら、勝つことは難しい。冷静な判断力が失われ、気がつくと借金をしてまでして、ギャンブルにのめり込む。

表題の漫画は、ギャンブルの魅力にはまり込み、どん底を味わい、それでもなおギャンブルから逃れられない救われない青年を主人公にしている異端のギャンブル漫画だ。

映画化までされるほどの人気を博しているらしい。私の経験からすると、ギャンブルで勝ち残れるのは、勝ち逃げできる奴だけだ。

ギャンブルで勝つ陶酔感は恐ろしいほどに魅惑的だが、その快感に囚われると人生のどん底を味わう羽目に陥る。簡単に勝てるということは、簡単に負けるということだ。

そして何時だって、多数の負け犬が、極少数の勝者を支えている。それが分っていながら、負け犬の立場から抜けられない人が如何に多いか。

ギャンブルは余裕のある人が余暇に楽しむもの。間違っても生活の柱になるものではない。それなのに、ギャンブルを生活の中心に据える人のなんと多いことか。

バカは死んでも治らない、とは真理かもしれないと、元パチンコ中毒者の私は自虐的に考えてしまいます。

コメント (4)
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