ヨーロッパがきな臭い。
ギリシャに端を発した金融不安が、イタリアどころかフランスにまで拡がっている。円高ユーロ安は、かつてないほど進みつつある。
だが、これは分っていたことだ。元々ユーロ自体が、過大に評価されていた。EU自体は、現在世界最大の市場であるのは事実だが、むしろ弱者連合の意味合いが強い。
18世紀の産業革命の発祥の地であり、19世紀から20世紀にかけて世界の過半を支配したのがヨーロッパの国々であった。しかし、二度の世界大戦で疲弊し、植民地の多くを失った。
弱体化されたヨーロッパの利権を奪い取ったのは、ヨーロッパから落ち延びた白人たちの国アメリカだった。アメリカは、ヨーロッパの弱体化に応じて超大国の地位を得た。
これは屈辱であり、ヨーロッパの人々に根強い反アメリカ感情を与えたが、反面容認は出来た。だが、どうしても我慢できなかったのが、アジアの反攻だった。
まず、日本が攻め込んできた。武器は車と家電製品だ。安かろう、悪かろうと侮っているうちに、安いうえに性能がよい製品を売り込んできた。止む無く、ルールを変えたり、非関税障壁を設けて日本製品の津波から逃れようとした。
しかし、これまで自由貿易の理念を高く掲げたが故に、このような姑息な日本製品排除はプライドを大いに傷つけた。結局、日本側の自主規制という温情にすがって、かろうじて市場に生き残れた。
ところが、日本に続いて韓国、台湾、そして共産シナが攻め込んでくると、もはや身も蓋もなかった。もはや一国で耐えることが出来ないとの思いが、弱者連合のユーロを生み出した。
このユーロは単なる弱者連合ではない。背後に東ヨーロッパという未開の地が控えていた。マルクス主義の支配から脱却した東ヨーロッパの経済発展こそが、ユーロがアメリカとアジアに対して有する最大の武器だった。
そのはずだった。しかし、旧・東ドイツでさえ満足に市場原理は働かなかった。旧・共産党の根は深く広く、裏経済だけが肥え太る。既得権にしがみつく官僚の壁は高く、一般庶民の不満は高まるばかり。財政再建のための増税なんて、受け入れられるわけが無い。
元々ユーロは、アメリカとアジアの優勢に、単独では対抗できないが故の弱者連合だ。そのうえ、飴を撒き散らした愚民政策を繰り返した旧・東側諸国向けの債権が焦げ付いて足を引っ張る。
嫌な予想だが、ユーロは解体されかねない危機にある。元々統一体としての自覚も乏しく、身を削って貧者を助ける富者の我慢も限界がある。
もしかしたら、一部分離もあり得るとさえ思う。
地球の反対側の話だと思ってはいけない。日本とて、ヨーロッパ同様衰退の基調にあることは変わりなく、この先如何に衰退していくかが、課題となっていることに変わりは無い。
かつて、ユーロが立ち上がった時に、これを来るべき世界政府のモデルになると、甘い夢を見た人たちは、今こそ現実を直視すべきた。
そして、当然だがアジアでの統一経済モデルなんざ成立する可能性はないことぐらい、いい加減分って欲しいものだ。政界、財界はもとより霞ヶ関にさえ、この甘い夢を信じているお間抜けちゃんが、けっこう居るから恐ろしい。
衰退しつつある日本にとって、黄昏の欧州から学ぶべきことは多いはず。夢に呆けてないで、しっかり現実を見据えて欲しいものです。
ギリシャに端を発した金融不安が、イタリアどころかフランスにまで拡がっている。円高ユーロ安は、かつてないほど進みつつある。
だが、これは分っていたことだ。元々ユーロ自体が、過大に評価されていた。EU自体は、現在世界最大の市場であるのは事実だが、むしろ弱者連合の意味合いが強い。
18世紀の産業革命の発祥の地であり、19世紀から20世紀にかけて世界の過半を支配したのがヨーロッパの国々であった。しかし、二度の世界大戦で疲弊し、植民地の多くを失った。
弱体化されたヨーロッパの利権を奪い取ったのは、ヨーロッパから落ち延びた白人たちの国アメリカだった。アメリカは、ヨーロッパの弱体化に応じて超大国の地位を得た。
これは屈辱であり、ヨーロッパの人々に根強い反アメリカ感情を与えたが、反面容認は出来た。だが、どうしても我慢できなかったのが、アジアの反攻だった。
まず、日本が攻め込んできた。武器は車と家電製品だ。安かろう、悪かろうと侮っているうちに、安いうえに性能がよい製品を売り込んできた。止む無く、ルールを変えたり、非関税障壁を設けて日本製品の津波から逃れようとした。
しかし、これまで自由貿易の理念を高く掲げたが故に、このような姑息な日本製品排除はプライドを大いに傷つけた。結局、日本側の自主規制という温情にすがって、かろうじて市場に生き残れた。
ところが、日本に続いて韓国、台湾、そして共産シナが攻め込んでくると、もはや身も蓋もなかった。もはや一国で耐えることが出来ないとの思いが、弱者連合のユーロを生み出した。
このユーロは単なる弱者連合ではない。背後に東ヨーロッパという未開の地が控えていた。マルクス主義の支配から脱却した東ヨーロッパの経済発展こそが、ユーロがアメリカとアジアに対して有する最大の武器だった。
そのはずだった。しかし、旧・東ドイツでさえ満足に市場原理は働かなかった。旧・共産党の根は深く広く、裏経済だけが肥え太る。既得権にしがみつく官僚の壁は高く、一般庶民の不満は高まるばかり。財政再建のための増税なんて、受け入れられるわけが無い。
元々ユーロは、アメリカとアジアの優勢に、単独では対抗できないが故の弱者連合だ。そのうえ、飴を撒き散らした愚民政策を繰り返した旧・東側諸国向けの債権が焦げ付いて足を引っ張る。
嫌な予想だが、ユーロは解体されかねない危機にある。元々統一体としての自覚も乏しく、身を削って貧者を助ける富者の我慢も限界がある。
もしかしたら、一部分離もあり得るとさえ思う。
地球の反対側の話だと思ってはいけない。日本とて、ヨーロッパ同様衰退の基調にあることは変わりなく、この先如何に衰退していくかが、課題となっていることに変わりは無い。
かつて、ユーロが立ち上がった時に、これを来るべき世界政府のモデルになると、甘い夢を見た人たちは、今こそ現実を直視すべきた。
そして、当然だがアジアでの統一経済モデルなんざ成立する可能性はないことぐらい、いい加減分って欲しいものだ。政界、財界はもとより霞ヶ関にさえ、この甘い夢を信じているお間抜けちゃんが、けっこう居るから恐ろしい。
衰退しつつある日本にとって、黄昏の欧州から学ぶべきことは多いはず。夢に呆けてないで、しっかり現実を見据えて欲しいものです。