ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

一弦の琴 宮尾登美子

2011-11-28 13:32:00 | 

無芸小食、人畜無害が私のモットーだ。

とはいえ、芸事の一つぐらい、やっておいたほうが良かったかもしれないと思わないでもない。なにを今更だが、子供の頃から何一つものになった芸事がない。

最初はカワイのオルガン教室だったと思う。数ヶ月通ったが、年末の発表会では、なぜかタンバリンを叩いていたぐらいだから、よっぽど才能がなかったのだと思う。

続いて、個人宅でのピアノ教室にも通わされたが、分ったのはピアノの鍵盤を足で踏んではいけないことだけだった。

その後は、カブスカウトとボーイスカウトだが、これは結構気に入っていた。しかし、引越に伴い退団せざるえず、新しい街では、近所になかったので自然消滅。もっとも、後年ワンダーフォーゲル部で登山をするようになった下地にはなったと思う。

そのほか、算盤とか書道とかもやってみたが、どれも中途半端で終わっている。中学時代は帰宅部だったので、部活にも無縁であったため、芸事は本当に縁がない。

子供の頃から続いていることといったら、せいぜい読書ぐらいだ。でも、読書は芸事とは言いかねる。これは単なる趣味にすぎず、しかもたいした読書量ではない。おかげで、なんとも芸の無い大人に育ってしまった。

ビートたけしが、壮年になってからピアノを習いだした気持ちが良く分る。自分の気持ちを楽器で演奏することが出来たら、きっと素敵だと思う。

思うけど、そのレベルまでいきつくには相当な修練が必要であることも分る。以前、時折顔を出していたシャンソニエのピアノ奏者に、ピアノを楽しめるようになったのは、何時ぐらいかと訊いたことがある。

そのピアノ奏者は、幼い時からピアノを叩き込まれ、アメリカの名門音楽大学に留学したこともある方だが、私の質問に「30過ぎるまで、楽しいと思ったことはありません」と断言された。

でも、続けたのですよね、と問うと、「ボクには、ピアノしかありませんでしたから」と思いつめたような口調で、答えるというより、自身に確認するかのような言葉を返してきた。

その言葉の背後に過酷な修練があることが、素人の私にもよく分った。怠け者の私は、ここまで耐えられる自信はない。

だから、芸事を極めた人を見ると敬意すら感じてしまう。

表題の作品は、一弦琴の奏者として、またその普及に人生を賭けた主人公の生涯を描いた宮尾登美子の代表作の一つ。幕末から明治の激動の時代に、己の人生を体現するものとして一弦琴を選んだ苗とその弟子の生涯は、読む者を惹き付けてなりません。

芸事とは無縁の私ですが、価値観の相違や時代の違いなどを超えて、一芸に賭けた人生の凄みを知ることは、読書の醍醐味の一つだと思います。機会がありましたら是非どうぞ。

コメント (2)
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