先月末、何気にラジオを聴いていたら、歌手の尾崎紀世彦の訃報が耳に入った。
腹から絞り出すような歌い方が印象的な歌手であったと記憶している。代表的ヒット曲の「また逢う日まで」以外は知らないが、この一曲で歌謡史に名を遺した。
もう一つ、印象に残っているのはモミアゲだ。耳元から顎のあたりまで伸ばしたモミアゲが、えらく記憶に残っている。いささか親近感を覚えるといっても過言ではない。
なぜかというと、私の高校時代の綽名は「モミ」であるからだ。由来は当時、伸ばしていたモミアゲからだ。もっとも意識して伸ばしていたわけではない。もともと外見には無頓着で、無精なところがあり、気が付いたらモミアゲが伸びていただけだ。
許されるなら髭を伸ばしても良かったのだが、さすがに高校生では拙いことぐらいは知っていた。ちなみに高校卒業後の浪人時代に、一度だけ意識して髭を伸ばしたことがある。
分かったのは、髭の手入れは結構面倒臭く、手入れをさぼるとすぐに浮浪者じみてくることだった。いくら外見に無頓着でも、さすがにこれは気に入らずに、受験が終わると同時にすべて剃ってしまった。
この時、モミアゲを伸ばすのも止めてしまった。特に深い訳があったのではなく、この頃髭剃りの快感に酔っていたからだ。高校までは、髭剃りはもっぱら夜、風呂でしていた。自宅よりも銭湯が多かったのは、自宅の給湯器は台所だけで、髭を剃る場としては不適切であったからだ。
ところが高校卒業と同時に引っ越し、親元を離れて妹と暮らしたので、台所の給湯器を髭剃りに使うようになった。妹はちょっと嫌そうだったが、朝の髭剃りに温かい湯を使えるのは、実に気持ちのいいものだったので止められなかった。
髭剃りを朝にすると、目が冴えて気持ち良くなる。さっぱり感が好きだったので、モミアゲを伸ばすことを止めてしまったのが本当のところだ。大学がいわゆるお嬢ちゃん、お坊ちゃんが通うことで有名な、華やかなキャンパスであり、モミアゲを伸ばすようなスタイルが馴染まないことも若干影響した。
もっとも大学のWV部で長期の合宿に入ると、自然と髭が伸びてモミアゲも復活したが、下山してのお風呂であっさりとそり落としていた。こればっかりは、経験しないと分からないと思うが、長く伸ばした髭を剃るのは、とっても気持ちがいい。
この気持ち良さを味わうために、登山中はわざと髭やモミアゲを伸ばしていたのは否定しがたい。そり落としてスベスベの肌をなでながら、無事下山して下界の生活に戻れた喜びをかみしめたものだった。
昨年、ほぼ30年ぶりに高校の同窓会に参加したが、やっぱり皆からは「モミ」と呼ばれた。高校時代、一言も会話を交わしたことがない同級生も、私の顔も名前も記憶になくても、綽名だけは覚えていたと言われる始末である。相当にインパクトのある綽名であったらしいことが良く分かった。私は全然気が付かなかったのですがねぇ。