冷たく怒る奴は怖い。
冷静に暴力をふるう奴こそ恐ろしい。
そして、なにより怖いのは、冷静な観察眼をもって、淡々と他人を傷つける奴だ。こんな奴に痛めつけられたら厄介なことこの上ない。なにせ気絶することを許さない。
複数の相手に囲まれての喧嘩だと、まず素人には勝ち目がない。こんな時はてっとり早くやられてしまうほうが楽だ。亀のように丸まって、相手に好き放題殴られ、蹴られてしまい、さっさと気絶してしまうほうが楽だ。反応がない相手を殴っても面白くないので、普通はそこでおしまいとなる。
ところが、まれに気絶することすら許さない冷酷な奴がいる。致命的な個所は避け、神経が集中するような部位に痛みを加えてくる。しかも、適当な間隔を置いて痛めつけにくるので、一時的に回復するが、そこを狙って痛めつけてくるので、生かさぬよう殺さぬようにやられてしまう。
私はさして喧嘩が強いわけでもなく、その癖逃げ足が速いわけでもないので、2回ほどとっ捕まってリンチを受けたことがある。以前にも書いたが、自転車のチェーンで滅多打ちされた時は、本当に死ぬかと思ったが、すぐに気絶してしまったのでそれほど恐怖は残っていない。
しかし、もう一回の時は本当に怖く、今でもその恐ろしさは骨身に沁みて残っている。
まったくの不意打ちだった。突然押し倒されて、そのまま倉庫の裏に引きづりこまれた。その上、頭から綿布の袋をかぶせられて何も見えない。かろうじて呼吸はできたが、視野がないので恐怖で胃がひきつるような気がした。
ふくらはぎの上を刈り取るように蹴られ、床に倒れた時に聞こえた声で、隣町の中学の奴らだと気が付いた。頭に被された袋の上から紐のようなもので口の上を縛られて、大声が出せなくなった。
こりゃダメだと覚悟を決めて、体を丸くして衝撃に備えた。すると笑い声がして、思わず赤面した。が、次の瞬間、横っ腹を蹴られて悶絶した。のたうっていると、再び哄笑が聞こえる。少し痛みが引いたと安心したら、今度は腹の上を思いっきり踏まれ、胃液を吐き出す羽目に陥った。
そして耳に聞こえるは、嘲りの声。このままじわじわといたぶられるのだと分かり、絶望で気が遠くなった。
が、なにか金属音がしたと思うと、足音が錯綜し、誰かに抱えあげられて明るい場所に運ばれた。袋が取り払われて、明るい日差しに目が痛くなる。いや、涙目でぼんやりとしか見えないが、制服姿の大人の男性が私の背中の紐をほどいている姿が見えた。
マッポ?いや、警備員のようだった。そうか、ここは運輸会社の倉庫のそばだったんだ。そのあと、事務室で休ませてもらい、やっぱり呼ばれた警察官にあれこれ尋ねられた。
警察嫌いの私としては、無言を貫きたいところだが、私有地内の暴行事件というかたちで立件されてしまったので、仕方なく最低限のことだけ話した。いや、実際問題、目を塞がれていたので、声しか分らないのが実情なので、事実だけを話しておいた。
幸いというか、私はこの管内でとっ捕まったことがないので、哀れな被害者扱いで済んだようだ。なぜか母親には連絡がいかなかった(不在だったらしい)ので、家族に騒がれずに済んだことがうれしかった。
非常にいやらしいことに、目立った外傷がなかったせいか、警察もあまり捜査に力を入れなかったようだ。ただ、私の心理的なダメージは甚大であった。犯人と思しき奴らは分かっている。たぶん、少し前に渋谷のゲーセンでトラブった奴らだろう。
奴らの根城を無造作に通った私が間抜けといえば、そうなのだが、同い年であれほど冷酷な暴力を振るう奴は初めてだった。悔しいが一人で反撃する気力はなかった。だから、当時つるんでいた悪ガキ仲間にだけ、事実を告げた。
驚いたことに被害者は私一人ではなかった。皆、恥じて黙っていたようだ。恐ろしい奴らだと思った。おかげで、皆意気消沈してしまい、この件は立ち消えになり、私たちは少々世間を狭くした。しばらくはK公園近くをたむろするのは控えたのは当然の流れだった。
当時は認める気になれなかったが、奴は格上のワルだったと今にして思う。冷静、冷酷に人を傷つける奴は浮「とつくづく思う。
プロレスラーでいうなら、60年代から70年代にかけて活躍したアメリカのハンス・シュミットがそれに近い。なにせリングネームは地獄の料理人。
マットの上で表情を変えずに、淡々と相手をいたぶるファイトぶりからつけられたリングネームだと思うが、実際ピッタリの戦いぶりだった。もっとも使う技は、それほど厭らしいものではなかったと思う。
肘やパンチ、膝などの人体の鋭角の部分を利用して、相手を痛めつけるのが上手いだけでなく、相手が嫌がる体勢に持ち込んで、いたぶるように締め付けたり、投げつけたりするのが得意だった。
相手を抱きかかえて持ち上げ、床に鋭角に立てた膝にたたきつける大技は「シュミット式バックブリーカー」として、その名を後世に残した。今だから分かるが、それほど反則技を使うわけでなく、むしろ正統的な技で相手をいたぶる堂々たる悪役レスラーであった。
仲間とタッグを組んでも、その相方がふがいないとリング下で仲間である相方をぶちのめして制裁する誇り高き悪役であった。弱い悪役を許さないような気概が感じられて、子供の頃は、ある種の畏敬にも似た感情を抱いていた。ただ、あまり近づきたくないとも思っていた。
だって、怖いのだもの。
先月取り上げたコワルスキーともタッグを組んでいたが、壮絶な仲間割れをして大ゲンカとなったのは有名な話だ。コワルスキーはリングを降りれば快活なおじさんといった風情があったが、シュミットはリングを降りても怖い空気をまとっていた。たぶん、私生活でも厳しい人だったのではないかと思います。
地獄の料理人とは、言いえて妙だったと痛感しますね。