ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

MIB3

2012-06-11 14:57:00 | 映画

巡りあわせの不思議って、たしかにあるのかもしれない。

偶然出会い知己になった人が、自分の知らないところで自分の人生に関わっていた。そんな不思議って、希にだが確かにあるように思う。

白状すると、けっこう浮「と思っている。何度か書いているが、私はあまり良い子ではなかった。ずいぶんと悪いことをしてきた子供であったと自覚している。

悪がきヌマンタがやってきた悪いことには二種類ある。一つは暴力衝動を持て余しての、突発的な破壊行為だ。駅前の自転車をなぎ唐オたり、自転車で国道の真ん中を逆走したり、実に迷惑な子供であった。しかも、なお悪いことに、ほとんど捕まらず、発覚もしていないが故に、叱られたり怒られたりもしていない。

たから、内心ちょっと悪いことをしちゃったな、程度の認識で済ませていた。まァ、神様には寝る前に侘び入れたからイイやと自分に都合よく捉えている。

問題はもう一つの悪さのほうだ。これは書くのが辛い。物を壊したりしたわけでなく、心を傷つけるようなことをしでかしているからだ。しかも、ほとんどの場合、故意ではなく、無意識であったから始末が悪い。

自分でも、何故あのようなことを口にしてしまったのか分からない。何故あの時知らん顔をして見過ごしたのか分からない。理由は分からなくても、そのことがひどく人の気持ちを傷つけることは分かっていた。

分かっていながら、私は何もせずに済ませてしまった。ただ、自分がひどいことをしてしまったことは、なんとなく気が付いていた。その癖、なにもせずに済ませてしまった。

出来ることはあったと思うが、あの時はなにもできなかった。自分の無力を痛感するのが辛いが、それ以上に相手がどれほど傷ついたのか察していた自分が嫌だった。自己嫌悪を伴うがゆえに、私は長いこと忘れたふりをして生きてきた。

私の人生の貸借対照表に刻まれた負債だと考えている。いつかは返済しなければならない、そんな義務感が私を未だに悩ませる。私が恐れるのは、私の負債を知る人間がいて、ある日突然目の前に現れることだ。

あり得ないと断言できない。なぜなら逆のケースに実際に遭遇しているからだ。偉ぶる訳でもないが、私とて偶には良いこともやっている。私が忘れていた良いことがあると知った時の驚きは衝撃的でさえあった。その日、私は一人寝床で嬉しくて涙したよ。

だからこそ、ほぼ確信している。私の暗く重い負債を知る人が、いつか私の目の前に現れることを。きっと、それは私を打ちのめし、叩きつけ、ずたずたにするだろう。

表題の映画は、一作目も二作目もSFコメディが基調であり、それはこの三作目でも同じだ。有名人が画面の隅にちょこっと出ていたりして、隠れたハプニングも用意されており、至れり尽くせりの娯楽映画だ。

ただ、一点ほろりと感じ入ってしまう。そう、巡り合せって確かにある。あるんだよ。あり得ないと断言したいが、やっぱりあるんだ。エンターテイメント映画であるのは間違いないけど、ちょっと考え込まされました。

私は運命論者ではないけれど、運命って奴はあるかもしれない。出来るなら、笑ってその運命を受け入れたいものです。

コメント (6)
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