山に登らなくなって既に30年になる。
それでも山間の道路を車で走らせると、荒れた山に気が付くことがあり、暗い気持ちにさせられる。
多くの人は、自然はほっておけば元気に繁茂するものだと思い込んでいる。たしかに自然の回復力は凄い。火山の火砕流で一面焼け野原となった黒ずんだ大地でさえ、数年後には名も知れぬ草木が生えだして、やがて緑の草原が復活する。
しかし、人間の手が入った里山は、そうそう簡単には回復しない。
私が里山の貧しさに気が付いたのは、小学生の頃からだ。虫取りが大好きだった私は、ときおり虫を求め、わざわざ電車にのってまでして山に行くことがあった。行先は決まって高尾山だ。
行ってみて分かったのだが、驚くほど虫が少ない。私が欲しかったのはカブトムシでありクワガタであり、コガネムシであった。これらは皆、雑木林に棲息する昆虫である。
ところが高尾山周辺の山々は、雑木林ではなかった。ヒノキやカラマツなどの針葉樹であり、その大半は戦後の復興需要に充てるための造林政策により植えられた人口樹林であった。
この人口樹林では、虫は生きられない。本来、この地に育っていたのは楢やブナ、クヌギなどの広葉樹であり、その落ち葉を肥料としてコケモモやヤマブドウ、桑、柿、栗など豊かな森があったはずなのだ。
せっかく電車代まで払って来たのに、この惨状にがっかりしたが、ここで偶然かつてのボーイスカウト入団時の友人に出会えた。彼に案内されたのは、足元が悪く入り組んだ沢の奥にある広葉樹主体の林であった。まだ、古来からの武蔵野の森が残っていたのだ。
ここはカブトムシを初めとして虫たちの宝庫であった。ただ、クモや蛭、ムカデなども沢山いる上に、虫取りの天敵オオスズメバチが頻繁に出没する危険地帯でもあった。おまけに高尾山の自然の森保護センターの敷地内であるようで、その友人から絶対に大人に見つからないようにと、きつく釘をさされた。
ただ、あまりに虫が沢山いて、狂喜乱舞の私はこの警告を忘れて、後日大人に捕まり危うく警察に突き出されるところであった。こんな時、如何にも健気に反省しているふりをする演技だけは得意な私は、嘘泣きまでみせる熱演で、説教だけで帰宅を許された。
以来、安全な登山道は避けて、獣道を駆使して虫取りをするようになった。おかげでルート・ファインディングの技術は知らず知らずのうちに向上していた。こうして、野山を好き勝手に歩き回るうちに気が付いたのは、森が死んでいることだった。
現在、外国人にも人気の観光スポットでもある高尾山は、都会の避暑地であり行楽地でもある。緑豊かな自然の楽園などとされているが、私からすると冗談に過ぎる。あの濃厚な緑に彩られた山裾の森の大半は、人口樹林であり虫や小動物にとっては生きる術のない死の森である。
高尾山の森で、本当に生物相が豊かなのは人間が入りづらい足場が悪くて入り組んだ沢の奥の一部の地域だけだ。人が入りずらいからこそ、豊かな森が残された。これが国立公園だというから笑ってしまう。いったい、なにを保護しているつもりなのだ。
呆れたことに、建材になる針葉樹林主体の植林政策は、平成8年まで続けられた。海外からの安い輸入木材に押されて、国内木材は低価格に低迷。おかげで、無駄な枝払いなどをしなくなり、もはや建材には向かなくなった建材用の木々が、日本の山々を覆っている有様だ。
繰り返すが、建材用の針葉樹主体の森は、生物が生息するには不向きな森である。日本の森は、種や実を実らせる広葉樹林主体の森こそが本来の姿であり、その里山でさえ、人の手で下草の刈払いなどの手入れをしなければ荒れてしまう。
走る車の窓からも、荒れた里山の姿が分かる。近年、人里にツキノワグマや猿が出没するのも、ある意味当然の成り行きだ。人工の針葉樹林にエサはなく、荒れた里山には、本来あるはずの豊かな緑と果樹がない。
おまけに行き過ぎた動物愛護のせいで、狩猟が減ったために、人を恐れない熊や猿が増えた。また狩りがないため、シカやカモシカの食害により、ますます森が荒廃したことも大きなトラブルの要因になっている。
狭い国土に人と自然が並立する日本では、伐採や狩猟など適度な人間の干渉があってこそ、自然のバランスが保たれる。森があるからこそ、水が浄化されて、綺麗な川が保たれる。
森を失った文明は、例外なく滅びの道を辿る。かつて繁栄を誇ったオリエントや中央アジアの古代都市の遺跡をみれば分かること。勉強不足の浅はかな自然保護や、自己満足だけの環境保護運動などに踊らされず、もっと冷静に山を見て欲しいものだ。