神様が多すぎる。
まァ、古来より日本は八百万の神の国。路傍の石にさえ神の見姿を重ねるお国柄である。巨石や山などの自然物を神に喩えるのは序の口で、天皇を始めとして偉いとされるべき人間までも神格化してきた歴史を持つ。
だからこそ、戦後の復興期に大衆の娯楽の王様であったプロ野球の人気球団で好成績を残した強打者であり、高度成長期にリーグ九連覇という偉業を達成した監督である川上哲治氏は大いに讃えられる存在であった。
私は選手としての現役時代を知らない。知っているのは、V9を果たした監督時代だけだ。長島と王という日本を代表する強打者が居ただけに、攻めのチームとの印象が強いが、冷静に顧みれば守りの硬いチームであった。
それはV9時代の選手で、後に監督となった広岡や森、長島、藤田、王らをみれば分かる。皆、優勝の盃を掲げた名監督ばかりだ。長島はちょっと違ったが、いずれも守備を重視した手堅い野球を好んだ。これは川上氏の薫陶によるものだと言っても、そう間違いではないと思う。
それゆえに、私は川上哲治を名選手であり、名監督だと認めている。でも、打撃の神様は大げさに過ぎるとも思っている。
たしかに立派な記録を持っているが、それ以上の記録を作った選手は助っ人外国人も含めれば、けっこういる。もっといえば、打撃に関しては落合やイチローのほうが上だと思っている。でも、神様呼ばわりされているのは川上氏、ただ一人である。
下種の勘繰りと言われるかもしれないが、私は川上氏が巨人の選手であったからこその誇張された呼称だと思っている。マスコミがやたらと持ち上げる巨人だからこそ、誇張された尊称として「打撃の神様」などと呼ばれていたのだと思う。
もっとも川上氏、本人が神様を自称していたわけでもなく、むしろ自分より上がいると発言していたのも事実だ。ただ誰だって褒められれば嬉しいことに変わりはなく、神様呼ばわりを自ら否定はしなかった。
それを大人の対応だといってもイイのだけど、私には「未だ木鶏たらず」と述べた横綱のほうがはるかに品格があると思っている。それでも川上氏を名選手、名監督だとすることには異論はない。
ただ、巨人への肩入れが強すぎて、プロ野球自体への貢献は如何なものかと思っている。一度目の長島監督更迭に動いた影のフィクサーであったのは、ほぼ確かみたいだし、広岡や森とも随分揉めたのは、この人の頑なさ(広岡も相当だけど)に由来すると思う。
そもそも日本人は「なになにの神様」なんて呼称を使い過ぎる。いくら八百万の神々の国とはいえ、少々安売りが過ぎる。安易な尊称は、かえって当人の価値を下げると思う。
川上氏は普通に名選手、名監督で十分だと思います。