税法なんて、手続き規定に過ぎない。
ある民法の専門家がそのように税法をけなしていた。それを聞きながら私も、もっともな話だと頷いていたが、反面手続き規定だからこその怖さは決して軽視してはならないと自戒していた。
これは民法に限らないが、司法の世界では実態を重んじる。もちろん法形式を軽視するわけではないが、その中身を精査し立法の精神に立ち返って判断する。その判例の積み重ねにより、今日の民法は形作られてきた。
司法関係の書棚には、この民法の判例集が大きく場所をとっている。この先、民法が如何に改正されようと、弁護士と裁判官ら司法関係者の英知が積み重ねられた判例集の価値が墜ちることはない。
一方、税法にはこれほど重みのある判例集はない。非公開の判例が多いせいもあるが、とてもじゃないが民法が積み重ねてきた英知の実績には敵わない。
だからといって、税法の怖さが減じる訳ではない。
冒頭の専門家が税法を貶すのは、税法が国家権力が国民から財産を税として簒奪するための手続きを定めたものに過ぎないとの思いがあるからだろう。それは間違いないのだが、税収があるからこそ国家は存続できるし、その国家が認めるからこそ民法は重きをなす。
税を国民から獲る(納税させる、とも云う)ための手続きが税法であるならば、その手続きは公正かつ適切であり、厳格に運用されるべきだ。そうなのだが、税理士として観てみると、どうも厳格さだけが近年妙に強調され過ぎている気がしてならない。
その一例に上場株式の繰越損失の適用がある。
簡単に説明すると、平成21年に上場株式を売却し、売却損を出したとする。この売却損は同一の証券会社の口座内では、他の上場株式の売却益と通算できる。だが、その損失が大きくて、平成21年中の売却益だけでは相殺できなかった場合。
この場合、確定申告書に所定の書類を添付することで、その損失は3年間繰越すことが出来る。ただし、期限内(3月15日まで)であり、所定の書類の添付があり、なおかつ、毎年連続して確定申告書を提出することが必要となる。
ところが、ある納税者の方は平成21年はしっかり確定申告書を税務署に提出したが、翌平成22年では株の売買は一切しなかった。そのため、毎年の給与及び不動産所得の申告はしたが、株式に関する所定の書類を提出しなかった。
そして平成23年に株の売買を行い売却益を出した。もちろん源泉所得税が徴収済みではある。だが平成21年の売却損が繰り越されているはずなので、平成23年に確定申告をすれば平成21年の売却損と、平成23年の売却益は通算されて利益は0となり、源泉所得税は還付されるはずであった。
そう期待していたのだが、残念ながら税務署は認めてくれなかった。なぜなら平成22年の確定申告時に株式に関する所定の書類を提出していなかったからだ。
その納税者の方は憤懣やるかたないようだが、このケースは税務署側が正しい。税法は手続き規定であり、その定められた手続きを満たさなかった以上、上場株式の繰越損失の適用は認められない。
別に税務署は、納税者が脱税していると云っている訳ではない。また平成21年の売却損の事実を否認している訳でもない。ただ、定められた手続きの要件を満たしていないと云っているだけなのだ。
これが手続き規定の怖さだ。
これは裁判に持ち込んでも、まず勝ち目はない。手続きが複雑で難解で理解しづらいならともかく、簡単な手続きに過ぎない。それを失念した納税者の過失。それが結論となることは目に見えて明らかだ。税務署は正しい。
・・・本当かい?
普通の常識で判断するなら、この手続き規定はあまりに厳格に過ぎると感じるはずだ。税理士である私でさえ、いささか酷に過ぎると思っている。だが、この扱いが正しいことも分かっている。
でも、正しいからといって、それが適切だとは思わない。これは私一人の感想ではなく、税務署にかつて席を置いていた国税OB税理士でさえそう感じるらしい。あまりに杓子行儀で、適切な行政だとは思えない。
なんだって、このような厳格に過ぎる手続き規定を定めているのか。これは私の推測なので、証拠がある訳ではない。あくまで私の想像なのだ。
実は近年、税務署は納税者から訴えらえて裁判で負けるケースが頻発している。特に税法の瑕疵を狙った確信犯的な節税手法を争ったケースでは、税務署側の敗訴が相次いだ。もちろん全体の訴訟のなかでみれば、まだまだ税務署側が勝った訴訟のほうが多い。
しかし税務訴訟は、かつて国側(税務署側)が勝訴する割合が98%近かったはずだが、ここ十数年その勝率は9割を切っている。訴える側(納税者)が税法を真剣に研究し、その瑕疵をついて合法的な節税手法を利用した場合の訴訟では、国側の敗訴が相次いだ。
これに危機感を抱いた国税庁は、新たな税法改正をする際、その法令を徹底的に緻密に作り、形式的な要件を厳密にすることで訴訟に負けないよう努力していたようなのだ。その成果が、この手続き規定の厳密化であるらしい。
率直に言って、例として挙げた株の売却損の繰越の事例なんかは、期限後に提出したって事実関係に変わりはなく、租税回避とか脱税の匂いのするものではない。にもかかわらず、手続き規定のみを厳格化することに、どれだけの意義があるのか私には理解できない。
後だしだってイイじゃないか。本音ではそう思っている。だが税務訴訟に負けた政府のエリートたちの傷ついたプライドがそれを許さないのだと邪推している。
なんか筋違いの気もするが、税理士としては所定の書類の期限内提出を徹底するしかないと覚悟している。
行政の簡素化が聞いて呆れますがね。