悪い奴は面白い。
ただし気を付けねばいけないのは、あの悪さの中身だ。悪(ワル)は悪でも邪な悪は近づくべきではない。そうではない悪は、世の中の正義に対して、必ずしも信を置かず、自らが正しいと信じたことにのみ忠実である。
多くの場合、それは友との友誼であり、仁義であり、男として守るべき筋である。必ずしも明確でなく、いささかぶれることも多々あるが、邪な悪と、そうでない悪の区別は非常に重要だと思っている。
私自身、学校の先生や警察からよく睨まれていたワルガキであったので、真面目な奴よりも、悪っぽい奴との付き合いが多かった。だからこそ分かるのだが、悪い奴にはいろんなタイプがあり、学校の定めたルールに忠実でないからといって、必ずしも悪い奴だとは限らないことを知っていた。
もっと言えば、ルールを守るだけの真面目な奴よりも、必ずしもルールに縛られず、自分で判断して結果として悪い奴とされる人のほうが、人間的に面白いと思っていた。
ただ、この「悪い」の中身をよく判断しておく必要がある。人を傷づける奴、奪う奴、貶める奴、こういった悪(ワル)は邪な悪であり、近づくべきではない。それが無理なら、適切な距離をとるか、強い奴とつるんで相手が近づいてこないようなポジションをとるか対策をとるべきだ。
だが、親や学校、社会が定めたルールを知っていながら、自らの判断で友誼や約束、仁義や筋を守るがゆえに悪とされてしまった奴は、むしろ積極的に関わるようにしていた。社会から、学校から孤立しがちな子供であった私にとって、悪と言われようと大切なものを守ろうとする奴は信頼に値したからだ。
私が十代の頃に知り合った、このタイプの悪とは、今も付き合いが続いている。悪といっても学校を無事卒業し、会社員として、又は自営業者として日の当たる道を堂々歩ける堅気の連中ばかりである。
実のところ、大して悪いことはしていない・・・(多分だが)、いわゆるチョイ悪程度ではあった。休み時間に学校を抜け出しても、せいぜいタバコかパチンコ、麻雀ぐらい。放課後繁華街で遊んでも居酒屋かパブで粋がる程度の可愛いものだ。
ただし戦う時は戦う。おかげで喧嘩はそう珍しいものではなかった。私は止め役のつもりであったが、時として尖兵を走ることもあったらしい(自分では忘れてた)。喧嘩を悪い事だと思っている人は多いだろうが、陰湿ないじめや陰口よりも、身体をぶつけ合い力の優劣で勝ち負けを決める潔さは、そう悪いものではないと思っている。
振り返ってみても、実際に殴り合いの喧嘩をすることを恐れない奴は、しない奴より信が置けた。同時に喧嘩に慣れているので、相手を残酷に傷つけるようなことはしなかった。身体の傷より心の傷のほうが辛いことを知っている奴らでもあった。だから信用できた。
もっとも社会人になり、堅気の生活に長く身を置くと、敢えて喧嘩をせずに耐えることも大切だと理解できたし、争いに身を任せない賢明さがあることも理解はしている。それでも、戦うべき時に戦わないのは、人として信が置けないとは、今も思っている。
戦うことは必ずしも悪いことではない。なぜなら世の中の規則や慣習、ルールなどが必ずしもすべての場合に万能ではなく、むしろ積極的にそれを破ったほうが人として真摯な生き方である場合もあるからだ。
ところで表題の著者は、知る人ぞ知る20年間無敗の麻雀棋士である。麻雀というゲームを知っている人ならば信じられないかもしれないが、この無敗に嘘だとケチを付けた人を私は知らない。
しかも表の麻雀だけでなく、大金が飛び交う裏社会での麻雀も含めて無敗であるという信じがたい奇跡的な、あるいは伝説と云っていいほどの雀士である。私は当初、誇張、はったり、虚言の類ではないかと思ったが、どうやら本当らしい。
無敗であること自体、信じがたい奇跡だが、それ以上に信じがたいのが裏社会での実績がある人が、表社会でも立派に通用することだ。私も見聞でしか裏社会の麻雀は知らないが、積み込みなどのイカサマが横行する魑魅魍魎の世界だそうだ。
なにせヤクザ同士の抗争で、代打ちなどを頼まれることもある世界らしい。億単位の金が飛び交うばかりでなく、人の生き死にまでもが賭博の対象となることもあったらしい。もちろん嘘や虚実、はったり、見栄などもあろうが、まともな世界でないことは容易に想像できる。
そんな世界で無敗でいた人が、日の当たる堅気の世界でも十分通用している。おそらく邪な悪ではなく、真摯に生きた結果として悪であった人なのだと思う。そのあたりを知りたくて読んでみたのが表題の作品。
今さら麻雀の解説書なんて読みたくないが、この本はそのようなものではないので手を出しやすかった。読んでみて面白かったのは、理論や理屈よりも正しい姿勢とか、考えずに本能に従いゲームを進めるといった生き方であった。
麻雀と言う奴は、室内に籠ってするものであるものであるため、アウトドアとは無縁なはずだ。しかし桜井氏は野外、とりわけ海での休暇を重視する。自然の中に身を置いて、本能と勘に任せて生きることを大切だと断言する。
これは私自身の経験からして理解できる。かつて山を登っていた頃、理屈や知識ではなく、勘としか言いようがない本能的な行動で窮地を生き延びたことがあるからだ。なぜ、自分があのような行動をとったのかは分からないが、それが経験に狽墲黷ス勘によるものであることは体感している。
麻雀に興味はなくても、この人の生き方、考え方を知るのは、けっこう面白いと思うので、興味があったら是非どうぞ。