この人の試合を観れなかったのは残念でしかたない。
かの鉄人ルー・テーズが、寝技なら古今東西敵うものがいないと述べ、吉村道明をしてゴッチ以上だと言わしめた伝説の強豪、それがディック・ハットンだ。
来日はそれほど多くなく、あの力道山を子ども扱いするほど強い。なにせ、あの我慢強く見栄っ張りの力道山にバックブリーカー一発で、悲鳴を上げさせたことで知られている。あまりの強さに力道山は、その後呼ぶのを躊躇ったと言われている。
アマレス出身であり、大学レスリングでは全米選手権で三度優勝している筋金入りの強者である。その強さは尋常でなく、全盛期の鉄人テーズでさえ寝技勝負だけは絶対に避けた本物のレスラー。
人間的にも強直であったらしく、当時変人だが無敵の強豪としてしられたカール・クラウザー(若き日のカール・ゴッチ)と試合をさせたら、殺し合いになりかねないと噂された。
その噂を聞きつけた某プロモーターが興味本位で二人の試合を組んでしまった。ハットンも頑固だが、クラウザーはそれ以上の変人。絶対にまともな試合にならない。それどころか、互いに重大な怪我を負う可能性が高い。
当時チャンピオンであったルー・テーズは、この試合が組まれたと知り、急遽駆けつけてプロモーターに直談判して試合を中止させてしまった。二人を知るテーズにとって、あまりに危険過ぎると分かっていたからだ。
ハットンもクラウザーも、テーズの余計な差し出口を批難したが、内心では感謝あるいは安堵していたらしい。二人ともテーズの強さ、人格者であることを認めていたので、それ以上の騒ぎにはならなかった。
このあたり、今のプロレスとは大違い。当時のアメリカのプロレスが、スポーツの香りのする真っ当なものであったことを伺わせるエピソードとして、私は好きだった。だからこそ、ハットンのプロレスを直に観てみたかった。
だが私が小学校に上がる前に引退。43歳で引退だというから、プロレスに本気で打ち込んでいた人だと分かる。なにせプロレスって奴は、その気さえあれば50代はおろか60過ぎてもリングに上がれる格闘演劇。
でもレスリングに対して真摯な気持ちを持ち続けたハットンは、年齢で衰えた姿をさらすことを嫌がったのだろう。写真を見ると、如何にも剛直な男ぶりが窺える。この頑丈そうな体躯と、意志の強固さがうかがえる面構えこそ、強豪ディック・ハットンそのものなのだろう。
私にはかつて、アメリカが持っていたはずの健全にして真摯な生き方を体現する人物に思えて仕方ありません。