独断と偏見を承知で言わせてもらうと、会社は株主だけのものではない。
暴論なのは分かっている。会社は株主が資本(お金)を出資して作られる。いわば株主は会社の産みの親である。
親は産んでくれただけでなく、会社が大きくなるための追加の出資にも応じてくれる。株主なくして、会社は存在し得なかった。これは事実であり、それを否定する気はない。
だが、産まれ出でた会社を育てたのは、社長であり従業員である。その会社に資材を提供してくれた仕入れ先あっての会社であり、その会社の提供する商品(サービス)を買ってくれた得意先あっての会社でもある。
更に付け加えるなら、地域との結びつきも無視でき得ない大事な要素だ。元気な会社は、その地域を元気にさせるからこそ地元は応援する。会社を産んだのは株主かもしれないが、会社を育てたのは社長や従業員、取引先、そして地元でもある。決して株主だけで会社は育たない。
それでも産んだのが株主である以上、親として尊重されるのは当然だ。ただ、ここで近代市場社会は、新たな側面を見せる。この株主の立場は、それ自体が売り買いできる商品であり、会社の創建とは無関係な人であっても、その会社の株主になれる。
喩えは悪いが、親が子を売り払ったようなものだ。これは合法であり、違法でもなんでもない商取引に過ぎない。だが、売られた子(会社)からすると、株を新たに買い受けた株主を、自らの産みの親だと見做すことは難しい。
そこには親子の間の曖昧な優しさはなく、あるのは株主と経営者との間の緊張感であり、その厳しさが経営にプラスに働くはずであった。これを所有と経営の分離という。決して悪いことではない。
だが、株主がいかに真なる所有権を叫ぼうと、その会社で実際に働く人々の心には届かないことは少なくない。創業株主ならいざ知らず、経営者や従業員の知らぬ間に売り買いされて現れた新たな株主には、なんの情も感じないのが普通だ。
人は理屈だけでは動かない。この当たり前の道理が理解できぬ、頭がイイだけの新たなる株主があまりに多い。だからこそ、ホリエモンや三木谷はM&A(買収、合併)に苦労した。もちろん成功例もあるが、失敗したことも少なくない。
ホリエモンに至っては、あまりにマネーゲームに傾倒するあまり証券取引法違反を犯して収監される有様である。かつて一世を風靡した村上ファンドも既に過去の遺物である。
しかし、だからといって買収や合併がダメだという訳ではない。この本を読むまで私も失念していたが、かつての日本は買収や合併は日常茶飯事であった。とりわけ明治末から昭和初期にかけて、鉄道、電気、電話など社会インフラを支える業種では、合併買収が盛んに行われて今の大企業が存在する。
今日においても、買収や合併は重要な経営手法の一つであることに変わりはなく、今後も盛んに行われるであろう。
では、買収や合併が上手くいくためには、どうしたら良いか。著者の言うとおり、失敗例から学び、成功例を模倣すること、すなわち基本を重視することだと思う。会社の所有権は確かに株主にある。
しかし、その会社は経営者のみならず従業員、取引先、地域社会など多様な関係者が協力することで動いている。単に株券を動かしただけでは、経営は出来ない。M&Aに拒否感を持つ人は少なくないが、そのような人ほど読んで欲しい本だと思います。