神様は意地悪なのか?
気持ちは分からない訳ではない。私も著者同様に、ある日突然難病に襲われた。仕事もプライベートも絶好調の最中に襲われた。なにがなんだか分からず、あたふたしながら病院に行き、転院を繰り返し最後は大学病院に移された。
理解できなかった。状況を把握できなかった。だから何をしたらいいか分からなかった。いや、何も出来なかった。ただ、ただ病室のベットの上で煩悶するだけだった。
生きるのに必死だったと言いたいところだが、実のところベットで横たわるばかりで、体中につながれた点滴で動きはとれず、頑張りようもなかった。第一、何に必死になるの、何に頑張ったらいいのかが分からなかった。
ただ、言われるままに薬を飲み、食事を摂り、検査を受け、時には透析を受け、後は寝るだけ。精神的な葛藤はさておいても、私にはなんとも怠惰な生き方にしか思えなかった。
だが月日が経つにつれ、失ったものの大きさに愕然とせざるを得なかった。原因が分からない難病だけに、気持ちの置き所が難しかった。誰か恨む相手があるわけでもなく、憎む対象すら見いだせずにいた。
だから仕方なく自分自身を嫌った。
表題の本の著者であるさかもと女史は、神様は意地悪だと思ったようだが、私の場合それはなかった。元々小学生の頃からキリスト教への信仰をもっていたが故に、神を恨む気持ちにはなれなかった。
私は神がいちいち、一個人の人生に干渉してくるとは思っていない。神様は唯観ていればいい。私がどう想い、どう考え、どう動いたか。それを観ていてくれればいい。助けてくれなくてもいい。ただ、私が足掻き、煩悶し、打ちひさがれるのを観ているだけ。それだけで十分だと思っている。
だから神様は意地悪だとは思わなかった。思わなかったが、その気持ちは分かる。
でも、世の中平等でもなく、公正でもなく、理不尽で、無造作で、残酷でさえあるとは思っている。だが、その一方で、チャンスがあり、努力が実ることもあり、繊細な優しさや配慮もあることも知っている。
晴れたり曇ったり、雨も降るし雪も積もる。でも、その変化の中でこそ見いだせる喜びもある。もちろん悲しみも痛みもある。それが人生だと思う。
ところで、著者のさかもと女史が膠原病だとは知らなかった。私がまったく読まないレディース・コミックで活躍し、その後保守系の論陣を張る変り種の活動をしていたことは知っていたが、まさかSLE(全身性エリテマトーデス)だとは思わなかった。
実は私が20代にやった難病とは、わりと近いタイプの病気なので、長期入院中に幾人もSLE患者と出会っている。わりと繊細な感性の持ち主が多かったように思う。反面、対人関係では頑なな人が多いとも感じていた。さかもと女史も同様なのかとも思う。
最近だと、旅客機のなかで泣きやまぬ赤子へのクレームで大騒ぎになった御仁でもある。いろいろ生きづらい難儀な人生なようだが、上手く難病と付き合いながら頑張って欲しいものです。
多分、この人漫画よりも文章のほうが上手だと思います。今後に期待したいですね。