足の引っ張り合いほど醜いものはない。
なにがって、先月以来安倍政権に登用された女性閣僚らに対する政治資金の収支報告書がらみの事件である。安倍首相が自ら強く希望して登用させた女性閣僚を攻撃することで、安倍政権の信用失墜を狙ったものらしい。
政治団体の資金を公正に報告することは大切だとも思うが、攻撃していた野党のほうだって怪しいもんだ。そう思っていたら、早速に民主党の枝野氏がやり玉に挙がっている。どっちも、どっちだ。
私は公職選挙法や政治資金規正法を蔑ろにする気はないが、それでも気になるのは、小渕優子に対する攻撃だ。一応言っておくと、私は彼女の支持者でもないし、特段評価している訳でもない。だが、彼女の選挙区である群馬県には仕事でしばしば足を運ぶので、いろいろと情報は入ってくる。
ただし、飲み屋での噂話が大半なので、確証はまったくない。だが、今回の噂はかなり真実に近いと思っている。
小渕議員の後援会での観劇接待は、地元では有名であり、多くの有権者が楽しみにしていた。それは父親の代から続く行事であり、小渕議員の意思で積極的に行われたものではない。だから、私が地元の人たちとの会話のなかでも、それを悪いことだと思っていた人は皆無であった。
むしろ私が聞かされたのは、男の嫉妬であった。誰とは云わないし、訊かれても答える気はない。小渕議員が単なる女性議員なだけなら良かった。しかし、閣僚ともなれば話は別だ。
国会議員であるならば、誰だって一度は閣僚になりたい。決して簡単ではない。有力政治家の支持、政治献金、人望だけでなく実績も必要だ。長い年月の積み重ねが求められる苦難の道のりである。
それを女性閣僚の積極的な登用を求める安倍首相の鶴の一声で決められたら、それまで努力してきた男性議員はたまったもんじゃない。女だから簡単に閣僚になれていいのか。
その思いは、男性政治家だけでなく、その支持者にも共通するようだ。この事件は民主党ら野党からの指摘で発覚したが、私が聞かされたのは、密告者は同じ自民党関係者に違いないとの話ばかりであった。
なにせ自民党王国といわれた群馬だけに、自民党関係者は多い。福田、中曽根といった大物を輩出した土地だけに、膨大な数となるのは当然だが、なぜか私の耳に入ってくるのは、某○○氏の名前であった。
さりとて証拠があるわけでもないのだが、飲み会の席では、まるで確定しているかのような感じであった。野郎の嫉妬はみっともないとの非難が出るのは致し方ない。でも証拠がないのも分かっていたので、私は素直に聞くふりして聞き流していた。
観劇招待などが公職選挙法や政治資金規正法に引っかかるのは分かるが、私は長年日本の至る所で行われていたことであることも知っている。PTAやら町内会でも、似たような行事がけっこうあるのも知っている。
いささか暴論なのは承知しているが、大騒ぎするような問題ではないと思っている。むしろ、こんなことで国会を空転させていい気になっている、馬鹿ども(野党だけでなくマスコミも含めて)に呆れる気持ちの方がはるかに強い。
暴論ついでに言わせてもらえば、私は政治家にいちいち女性という冠を付けねばならぬ現実こそ、真の問題だと考えている。優秀な政治家ならば、男であろうと女であろうと構わない。
閣僚の大半が女性であっても、優れた結果さえ残してくれれば、一向に構わない。もちろん閣僚が全て女性でも、全て男性でもいい。要は結果である。大臣として立派な実績さえ残してくれるなら、男だろうと女だろうと関係ない。
政治とは、何を言ったかではなく、何をしたかで評価すべきだと考えている。
だから、今回安倍首相が女性閣僚を意図的に増やそうとしたことには、いささか疑問であった。ただし反対ではなかったのは、結果次第だと考えていたからだ。残念ながら結果以前の段階で、閣僚の座を退かざるを得なかったようだ。
何度も書いているが、21世紀の日本は人口は減少し、少子高齢化時代を迎える。政治家が男でなければならない理由はないし、女性でいけない理由もない。
それどころか、優秀な人材を積極的に登用し、活用しなければならない時代が目前に迫っている。
今回の騒動には、その危機感がまるで欠如しており、情けない嫉妬と、無様な足の引っ張り合いだけしか見られなかった。それは報道していたマスコミも同じである。
まァ、マスコミの本音は安倍政権を貶めることなのは分かっているのですがね。