ヌマンタの書斎

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プロレスってさ ストロング小林

2014-11-12 12:45:00 | スポーツ

アントニオ猪木は嘘吐きだ。

良くも悪くも嘘吐きだ。その良い面が出たのが、久々の日本人エース対決であったストロング小林戦であった。

国際プロレスのエースであったストロング小林が突如、フリー宣言をしてジャイアント馬場とアントニオ猪木に対決を要求したのは、私が小学生の時であった。力道山対木村以来の日本人対決である。これに興奮しなくちゃ男じゃない。

この試合が観たくて観たくて仕方なかったが、当時父母の離婚でバタバタしていたので、試合会場に行けるわけもなく、TVでの観戦が精いっぱいであった。当時、祖父母の家に引っ越していたので、TVは一階と2階にあり、どちらかで観れるはずなのだが、祖父母はどちらもプロレス嫌い。

でもおばあちゃんに懇願して、この試合だけは台所のTVで観させてもらった。幼いながらも、この試合のもの凄い緊張感や、技の攻防の凄さは感じ取れた。あのときは本気でプロレスこそ世界最強の格闘技だと思っていた。

やがて十代も半ばになると、格闘技を真剣にやっている友人が出来、彼らからあの試合の不自然さを聞かされた。まさかと思ったが、試合が始まった最初の殴り合いで、やはりストロング小林は失神していたようだ。

それを隠すため、アントニオ猪木は寝技を仕かけて動きを止めているように見せかけ、実際は小林が失神から目を覚ますのを待っていたようだ。猪木の演技は見事であったと思うが、その話を聞かされた時は正直がっかりした。

ただ、納得も出来たのは、ストロング小林があまり強くないレスラーだと知っていたからだ。もともと国鉄の職員時代に始めたボディビルのジムで、国際プロレスの吉原社長にスカウトされた格闘技の素人である。

たしかに怪力は凄かった。また表情豊かに試合を演じることも出来た。ただ、今だから分かるが、ケンカ上手とは言いかねた。だから実力派のレスラー相手の試合なら、相手が試合を上手に作ってくれるので、まずまずの試合が出来た。

しかし、相手がヘボいレスラーだと、相手に合わせて試合を作るのが下手だった。そのせいで、ストロング小林には名勝負といわれるような試合が少ない。ただし、十二分に発達した筋肉の見栄えと、表情豊かに試合を演じることは出来たので、日本だけでなくアメリカでも活躍できた。

冒頭の猪木戦は、そのストロング小林の魅力が最大限に出ている数少ない名勝負であった。この試合の最後は猪木の強烈な原爆固め(ジャーマン・スープレックス)だが、その前に小林がみせたカナディアン・バックブリーカーは見事な絵図であった。子供の時の私は、あの時猪木がギブアップするのではないかと本気で心配したほどだ。

でも今だから分かる。あれは、やはり試合の流れを見事にコントロールした猪木の手腕あってこそだ。もちろん、ストロング小林も個人としては奮闘したのだと思う。プロレスの名勝負は、対戦する二人の呼吸が合ってこそ成立する。序盤で失神するという失態を犯した小林は、面子を潰さずに試合を続行してくれた猪木へ感謝していたからこその名勝負だったかもしれない。

だがストロング小林はバックブリーカーのような怪力技を多用したせいで腰を痛め、早い時期に引退を決めている。引退後はストロング金剛の名前で券\界で活躍しているので、若い人にはそのほうが分かりやすいかもしれない。

実際、つるっとした坊主頭とギョロリとした目つき、長身で逞しい体躯は見栄えがよく、TVや映画にもよく出ていた。ただ「元気が出るTV」で落とし穴に落ちたときに足首を痛め、そのせいで券\界からも身を引いてしまった。

現在は郷里である東京は青梅で静かに暮らしているらしい。正直、プロレスラーとしては超一流とはいいかねたが、あの力道山対木村以来の日本人対決という名勝負を演じたことだけは、忘れずに覚えておいて欲しい。

コメント (2)
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