ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

もーレツ!イタリア家族 ヤマザキマリ

2014-11-26 12:12:00 | 

二十歳ぐらいの頃、海外で一人で暮らしてみたいという願望は持っていた。

別に家族を嫌った訳でもなく、日本を嫌った訳でもない。ただ単に山登りがしたかっただけだ。写真や映画、TVなどで見る海外の自然の壮大さ、華麗さ、重厚さに憧れは持っていた。

だが、決定的だったのはアメリカはイエローストーン国立公園にあるヨセミテの花崗岩の岩壁だった。あの岩に登りたい、それもフリークライミングで登りたいと切望したのは大学4年の時であった。

当時、就職活動をしながら、密かに海外の山の情報や、海外で暮らす方法などを模索していた。就職面接では希望に燃えて御社で働きたいなどと言っていたが、本心では数年働いて金を貯めたら、会社を辞めて海外へ岩登りの武者修行に行くつもりであった。

その夢は難病により打ち砕かれてしまい、海外どころか十年後に生きているのかさえ分からない絶望的状況へと追いやられた。二年余りの病院の入退院を繰り返した挙句、ただ薬を飲んで寝ているだけの自宅療養の日々。

この無為の日々は、夢想にふける日々でもあった。

身体を壊さなければ実行したであろう海外岩登り修行の旅と海外暮らし。基本的にお喋りで、一人でいるより寄り集まった状況を好むから、片言であろうと海外でも仲間を作り、なんとか暮らしていたと思う。

私は根拠なき楽天家なので、世の中なんとかなるもんだと思い込んでいる。性格という奴は、そうそう変わらない。悪がきどもとつるもうと、真面目なお坊ちゃんお嬢ちゃんたちと共に過ごそうと、私はいつだって同じように生きてきた。

だから、大人になっても、相手が外人だろうとなんだろうと、なんとかやっていけるはずだと思い込んでいる。もし、私が本当に海外暮らしをしていたのならば、この無節操な楽天家気質ゆえに、案外と外国人と家庭を築いていたかもしれない。

そんな夢想を弄びながらも、現実には税理士試験の準備を重ね、療養後の堅実な人生設計を実行するあたりが、私の厭らしさである。如何に夢を見ようと、論理的かつ実効性の高い生き方を選択してしまう。

たぶん、夢は夢のままで終わるのが私の人生なのだろう。

表題の著者ヤマザキマリは、特段海外に憧れたいたわけでもなく、偶然と偶発的出会いで海外で絵を学び、気が付いたら海外で出産し、生きるために漫画を描きだした。

別に海外暮らしを夢見たわけでもなく、外国人と家庭を築く夢も持ち合わせていない。ただ、目の前の現実に合わせて、自分なりに生きているうちに、気が付いたら海外暮らしと外国人との家庭を持ってしまった。

逞しいというか、適応能力の高さに驚かされるが、反面計画性のなさには呆れるしかない。行き当たりばったりの人生だと思うが、冷静に顧みれば私自身、まったく予定外の人生を送っている。

私は運命論者ではないのだが、人の生き方って運命としか言いようのない不条理に満ちていると思う。出来るならば、不満を抱え込むのではなく、その不条理を楽しめる人間になりたいものです。

コメント (6)
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