ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

青べか物語 山本周五郎

2014-11-20 12:05:00 | 

私が十代の大半を過ごした街、三軒茶屋には蛇崩(ジャクズレ)川と呼ばれるどぶ川が流れていた。

雨が降ると、すぐに溢れ出して悪臭を放つ困った川であった。その悪臭の原因の一つに、どぶ川沿いに並び立つオンボロ長屋の排水があった。戦前から残っている長屋もあったが、戦後のどさくさに紛れて無理やり建てられた安アパートもあった。

水道こそ通っていたが、下水はそのまま蛇崩川へ垂れ流しであった。ほとんどが違法建築であったようだし、住んでいる住人もそれに相応しい怪しい輩が多かった。

そのなかでも異彩を放っていたのが、どぶ川の土手の緩やかな草地に、柱を立ててその上に家を乗っけてしまった通称ドブ屋敷があった。高床式だといえば、多少は聞こえがいいが、実際は家だが倉庫だか分からない妙な家であった。

電気もガスも通じていないどころか、水道さえなかった。しかし、人は住んでいた。初老の女性で、目つきが悪く、子供嫌いで、大声で喚きたてる。私たち子供の天敵であり、私らは「ドブ婆」と呼んでいた。

蛇崩川は、場所によってはザリガニがとれるので、子供たちは親から禁じられようと、学校で危ないからダメだと警告されようと、あのどぶ川にはよく入り込んでいた。

いくつか入り口はあるのだが、なかでもザリガニが多く取れる淵のあたりに行くには、あのドブ婆の家の脇を通り抜ける必要があった。これが最大の難関であった。

なにせ壁の薄っぺらい家なので、声を潜め、足音を立てずに通り抜けようとしても、ドブ婆に気が付かれずに抜けるのは至難の業であった。困ったことに、ドブ婆は、日中は家にいることが多く、そんな時はどんなに静かに通り抜けようとしても、すぐに見つかったものだ。

だが、悪知恵を絞るガキどもは、ドブ婆がお経を唱えている時は、比較的バレにくいと気が付いた。だからお経を大声で唱えている時は、絶好の機会だとして、逃すことなく忍び込んだ。

あの日もそうだった。家から読経の声が聞こえているのを確認すると、出来るだけ音を立てずに通り抜け、ドブの淵で網を入れてザリガニを大量に捕まえた。帰路は、来たとき以上に慎重に進み、土塀の崩れたところから抜け出して一安心。

すぐにザリガニを皆で分ける算段をし始めたら、いきなり背後から怒鳴られた。なんとドブ婆が立っているではないか。この婆の凄まじい大声に、みんな思わずへたり込んでしまった。

あっという間に、ザリガニは奪い取られ、ドブ婆に蹴飛ばされながら、私たちは這う這うの体でその場を後にした。馬鹿な、あり得ない。まだ読経の声は、家から聞こえているではないか。

種を明かせば簡単で、ドブ婆は読経をテープレコーダーに録音して、それを再生したままの状態で外出していたようなのだ。ちなみに、ザリガニはみんなドブ川に戻されてしまった。

電気も通じてないボロ家なのに、テープレコーダーがあるなんて信じがたいが、家が家電屋のTが「ドブ婆には、うちが売ったぞ」と言うのから間違いないのだろう。ラジオもTVもないのに、テープレコーダーがあるなんて変な話だと思ったが、ある以上は仕方ない。

ドブ婆は謎の多い人だった。近所付き合いは、ほとんどなく、あのどぶ川の土手だって、地主がなぜに住むことを許しているのか、さっぱり分からない。後で知ったのだが、水は隣の地主の家からもらっていたようだ。信じがたいが、家賃も払っていたらしい。

そして一番信じがたかったのは、あのボロ家に都市銀行の行員が出入りしていることだった。今でこそATMまかせだが、当時は銀行員が預金の集金などに個人の家を訪れることはよくあった。しかし、あのドブ婆である。仕事らしい仕事なんて見たことない。それなのに銀行員が集金に来るとは、いったいどうなっているのか。

その時、私が聞かされたのは、ドブ婆が祈祷師というか、拝み屋であるらしいことだ。だから、家で読経をしていたのかと妙に納得したことを覚えている。しかし、そんなに儲かるものなのだろうか。私は他にも拝み屋を知っていたが、それほど稼げる仕事には思えなかった。

その謎が分かったのは、中学に進学してからしばらくしてからだ。今も昔もそうだが、いくら外見が子供っぽくても、思春期に入り第二次性徴が済めば、誰に教わるでもなく、やることをやってしまう。しっかり避妊していればともかく、勢いでやっちまったカップルは少なくない。

結果、出来てしまったカップルが年に数件出てしまう。さすがに産むには早すぎることは、馬鹿なガキでも分かる。だから堕胎するしかないのだが、十代前半のガキに、産婦人科の敷居は高い。親同伴が必須だし、学校にばれることも覚悟せねばならない。

親にも知られず、学校には内緒で処理するにはどうしたら良いか。そんな時に教わるのが、もぐりの産科医なのだが、これが決して安くない。だから、悪ガキ仲間のもとからカンパの連絡がまわってくる。私も乏しい小遣いのなかからカンパしたことはある。中学生にとって数十万の施術費を集めるのは、相当に大変である。

では、金が十分に集まらなかったらどうするのか。私はその時、初めて蛇崩川沿いのボロ家の女性が、もぐりの堕ろし屋だと知った。拝み屋は、表向きの話で、実際には対処に困った若いカップルの求めに応じての堕ろしの仕事が中心であったらしい。

その話を聞いた時、私は知りたくもなかった大人の世界のおぞましい現実の一端を無理やり覗かされた気がして、すごく不愉快な気分になった。もともと好きではなかったが、それ以降は軽蔑の思いを抱くようになった。

だが、それから数年後、ドブ婆の別の一面を知ることになる。(続く)

コメント (7)
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