プロレス対空手の試合が観たかった。
最初は猪木の新日本プロレスと、大山の極真会館との争いであった。プロレスファンのみならず、一般的な関心も集めた。その意味で、興行的には成功だったのかもしれないが、プロレスとしてはつまらなかった。
特に熊殺し・ウィリー・ウィリアムスと猪木の世紀の対決は、ほぼ真剣勝負であったと思うが、それゆえに緊張感だけが一流で、試合そのものは凡戦というか、まともに成立していなかった。
原因はいろいろあるが、極真にとっても新日本にとっても興行面だけでなく、世間への信頼度を高めるためにも、悪い意味での真面目さが出てしまったからだと私は捉えている。
猪木はプロレスを演じようとする覚悟はあったようだが、真面目なウィリーには無理だった。クマ殺しのパフォーマンスは演じられても、人間相手にパフォーマンスを演じる技量はなかったと思う。
だから、この試合以降はプロレス対空手の構図は描きにくかった。しかし、そこに挑んだのが青柳館長率いる誠心館空手であった。空手に関しては素人同然の私には、誠心館と極真との違いは分からないし、実力云々はなおさら分からなかった。
しかし、青柳館長にはプロレス技を受ける覚悟があったのは確かだと思う。いささか太り気味に思える体躯は、筋肉の上に脂肪の鎧をまとったものであり、新日本プロレスの小林や越中らと堂々試合を演じることが出来た。
もちろんプロレスに負けることもあった。しかし、一発逆転で勝利に終わることもあった。当時から気が付いていたが、誠心館側の空手選手も、プロレスラーが大怪我をするような攻撃はしなかった。
空手という格闘技には怖い部分が多々ある。例えばその手刀で鎖骨を折ることも出来る。鎖骨なんぞ折られたら、腕が上がらず、殴られ放題である。空手の熟達者ならばその鍛え上げられた指を、肋骨の隙間に突っ込んで肺臓を傷つけることだって出来る。
だが、青柳館長にせよ、その弟子の斉藤にせよ、そのような危険な技は使わず、あくまでプロレスラーが受けられる範囲で堂々と攻撃していた。だからこそ、極真空手とは成立しなかった試合が、堂々と展開されるようになった。
後々分かったのだが、青柳館長も斉藤選手も元々プロレス好きであったようだ。ただ身長が低いので諦めていたようだが、藤波とタイガーマスクが花開かせたジュニアヘビー級のプロレスなら、自分たちにも対応できると考えてのプロレス参戦であったらしい。
だからこそプロレスの試合が成り立ったのだろう。そのことは対戦したプロレスラーたちが一番良く分かっていたようで、後に誠心会館が独自に興行を打った際、新日本プロレスで対戦していた越中選手らが会社に無断で参加している。
新日本プロレスに所属するプロレスラーである越中らが会社に断りなしで協力したのも、日ごろの試合での信頼関係あってこそだ。その後、彼らは平成維新軍を立ち上げて、新日本プロレス正規軍との抗争戦に突入する。
実にプロレスらしい胡散臭い展開である。ただ、この展開は新日本プロレスの上層部の了解を得たものではなく、レフリーのミスター高橋ら現場の独走であったとされている。ただ、思いのほか、話題となったので新日本プロレス選手会正規軍と、非正規軍たる平成維新軍の抗争として容認されたのが実情のようだ。
ただ、トップクラスの参加がなかったため、二軍同士の抗争的な安っぽさがあり、人気は長続きはしなかった。その後、青柳館長は他の団体を立ち上げたり、他団体に参加したりして、現在はノアに所属しているようだ。
つまるところ、空手の修業をしたことがあるプロレスラーという評が一番相応しいと思う。正直言って、プロレスラーとしては二級線だと思うが、プロレス対空手という絵柄を、プロレスのリング上で演じてみせた功績は素直に認めたいと思います。
もっとも、空手というか打撃系の格闘技の人気は、K1に奪われてしまった。K1では、ヘビー級の大男たちがダイナミックな打撃技をみせ、派手なKOシーンを展開して、大人気を博した。これを見てしまうと、ジュニアヘビー級の空手使いのプロレスラーは辛い。
実際K1以降、空手対プロレスというストーリーは人気がなくなり、マイナーな路線になってしまった。現在も誠心館出身のプロレスラーたちは現役で活躍しているが、かつての人気は得られず、そこには空手家のイメージは少なく、空手を使えるプロレスラーになってしまっている。
やはり異種格闘技戦は、興行としては難しいというのが私の結論です。