ヌマンタの書斎

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美味礼賛 海老沢泰久

2014-12-22 12:20:00 | 

驚いた、辻静雄ってコックではなかった。

美食とは縁遠い私でさえ、辻静雄の名前は知っていた。開高健の釣り紀行を読むと、彼が辻調理師学校の講師を連れて海外の釣り旅行に行き、そこで釣りたての魚を、彼らに調理させて美味しそうに食べていた文書を読んでいたからだ。

日本に本格的なフランス料理を広めた伝道者、それが辻静雄であった。

まず、膨大なフランス料理の書物を英語版、フランス語版で読み込むところから始めている。そして、アメリカへ行く前にフランス料理の本を書いた著者に事前に手紙を出して挨拶し、その情熱を伝え、実際に渡米して会って話を聞いてもらう。

辻の情熱にほだされた美食ガイドの著者たちは、フランスのレストランを紹介し、料理レシピを書いた本を扱う専門店に案内し、その情熱に応えてくれている。インターネットもない時代、人に会い、話を聞いてもらい、店や知人を紹介してもらう。

まさにビジネスの基本である。その基本を忠実にこなしたからこそ、辻静雄はフランス料理の名店のオーナーやシェフと知り合うことが出来た。その機会を逃さず、必死の思いで食べ歩き、美食を舌に刻み、その記憶を日本に持ち帰って調理師学校で生徒に伝える。

まさに王道である。その道は長く険しいが、その努力あったからこそ、遠い異国である日本において本格的なフランス料理が根付いたのは間違いない。

フランス料理を学ぶのための人脈も知名度もなかった若き日の辻は、すぐにフランスに行かずに、アメリカの有名美食家と知己を得て、その紹介により超一流のフランス料理にたどり着くことが出来た。

おそらく辻以前の料理人たちは、フランスへ直接渡り、皿洗いから始めて時間をかけて調理場に立ち、そこで得た知識を持って日本に帰国している。その期間が長くても10年に満たず、せいぜい二、三の店で働いて、実地経験から学ぶのが精いっぱいだったのだろう。

しかし、遠回りした辻は、当時最高の評価を得ていた名店ピラミッドのオーナーと知己を得て、最高級のフランス料理の知識を伝授され、そのオーナーの紹介で当時期待の新人シェフの料理を満喫し、ミシュランガイドの☆を獲得したレストランばかりを数十件食べ歩く。

この経験を日本に持ち帰ったばかりでなく、その最先端にして最高の料理技術を若い料理人に教え、彼らが日本各地のフランス料理店でその腕前を披露することで、日本に本格的なフランス料理を根付かせた。

まさに偉業である。

私は仕事というものを、人と人との邂逅により生まれるものだと信じている。その邂逅を実り豊かにするためには、膨大な準備としての勉強も必要である。また邂逅を得るためには、信頼してもらい紹介してもらう必要がある。

これってビジネス、とりわけ営業の基本だと思う。それを実践したからこそ、辻静雄は成功したのだと思います。日本が世界屈指の美食大国になれたのは、まさにこのような地道な努力があったからなのでしょうね。

それにしても、海老沢泰久は文章も構成も上手い。おそらく現在のルポライターでも最上級なのだと痛感した一冊でした。是非、ご一読をお薦めします。

コメント (20)
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