家出をしたことがない。
小学生の頃から中二まで、わりと荒れた子供であったが、その癖家出というものをしたこがない。我が家の家風という訳でもないのだが、父母も妹たちも、家の外でのトラブルを、家のなかに持ち込まない傾向があった。
もちろん私もそうで、外で如何に悪さをしようと、問題を起こそうと、家のなかではいい子でいたつもりだ。聡怐A洗濯、買い物と家事手伝いは当然だと思っていた。
私としては、外にこそ敵がおり、家のなかは安全な避難場所であった。だから当然のように家出という発想が生まれなかった。ちなみに妹は一度家出しているが、これは母との言い争いを避けるためで、母が不在の時には平然と家に帰ってきていた。だから私は家出だとは思っていなかった。
だから失踪する必然性がまったくなかった半生を送ってきたので、いい年の大人が家を出て行方不明になることが、さっぱりと分からなかった。
だが、新社会人として就職した会社が、信販会社であり、その信販の申込者に対する信用調査を担当にするようになると、失踪する人間が意外に多いことに気が付かざるを得なかった。
多くの場合は、借金から逃れるための失踪なのだが、なかには原因不明の行方不明もあった。多くの場合、人間関係に疲れたなどの精神的な理由であるようだが、一民間企業の調査員としては深入りするわけにもいかず、如何に上司に上手く報告するかしか頭になかった。
やがて難病のために退職し、9年余りの療養生活から社会復帰し、今の税理士業界に入ると、再び失踪の問題と係るようになる。殺人などの事件性がない限り、マスコミなどに報じられることが少ないので、失踪したことが知られることは少ない。
だが、報じられないからといって失踪がなくなった訳でもなく、むしろ増加している感さえある。特にバブルの崩壊により莫大な借金を背負ってしまい、失踪した人は少なくない。
税理士としての守秘義務に係るので、詳細は書けないが、既に死んだと思っていた方から連絡が来ると、唖然茫然、どう対応していいやら困ってしまう。
生きていて嬉しい気持ちがない訳ではないが、何故に時効成立前に連絡してきたのだと苛立つ気持ちもある。答えは知っているつもりだ。
その辛さの正体は、孤独である。このまま自分が友人知人から忘れ去られた存在として朽ち果てることが辛かった。
私自身、9年余に及び長期の療養生活のなかで味わったことだが、病み衰えた体を友人知人の前に曝すのは辛い。だから冠婚葬祭以外の付き合いは極力避けてきた。しかし、長引く療養生活のなかで味わったもう一つの辛さがあまりにきつく、無様な思いをすると分かっていながら、時折飲み会などに顔を出していた。
実際問題、民間の探偵として数多くの失踪に係ってきた表題の書の著者によると、失踪が失敗に終わる最大の原因は、失踪者が孤独に耐え切れずに、自ら失踪者であることを打ち明けたり、かつての友人知人に連絡をとってしまうからだそうだ。
人間、生きている以上、様々な問題に直面し、すべてが真正面から対峙して解決できるわけではない。それゆえ、生きていく一つの手法としての失踪もあると語る著者の言い分は理解できる。
理解できるが、正直共感は出来ない。逃げたって、逃げた先にパラダイスが待っているとは限らない。よほどの覚悟を決めて新天地で当たらな人生を築かないと上手くいかないと思う。
別に知らなくても構わない知識ではある。だが、知っておいても損はないようにも思う。私としてのは、この知識が活かされるような状況に陥るのだけは勘弁だ。