ヌマンタの書斎

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アギーレ監督、八百長疑惑報道に思うこと

2014-12-09 12:33:00 | スポーツ

日本のプロサッカーが成立してから、既に20年近くたっている。

人間でいえば成人年齢であり、かつてワールドカップなんて雲の上の存在で、アジア・レベルでさえ勝ち抜けなかった時代を覚えている私からすると、その成長は嬉しい限り。

しかし、未だにレベルが上がっているとは言い難いのが、日本サッカー協会の幹部であり、マスコミのサッカー報道である。

まず日本サッカー協会だが、ここの幹部たちは未だに社会人クラブと出身大学の学閥から脱却できていないアマチュアばかりである。これまでも不満を抱く反主流派と思しき輩が、あれこれと妙な情報を流してきた。

それがアギーレ現日本代表監督を巡る騒動の根底にある。現在、アギーレ監督はスペインリーグの監督時代の八百長疑惑に曝されている。もちろん当人は断固として八百長への関与を否定している。

すると、おかしな報道が相次いだ。アギーレ監督への事情聴取を日本サッカー協会が執り行うとか、もし八百長に関与が確定したら次の代表監督はピクシーだの、トニーニョ・セレーゾ(鹿島監督)だのと喧しい。

いったいなんの権限があって、まだ疑われているだけのアギーレ監督に対してこのような非礼が出来るのだ。海外での報道だけで、なんの証拠もなく疑い、それを利用しようとするなんざ、下種の勘繰りというか、えげつない。

疑わしきは罰せず、の近代法の概念が理解できていないのだろう。というか、派閥争いの次元で低劣な主導権争いをしているだけで、日本サッカーの未来すらも、ろくに考えての動きでないことは明白である。

この下劣な幹部たちは、日本サッカーが低レベルであった時代に、選手として、また指導者として活躍していた功労者ではある。が、世界のサッカーを目ざすという高次元な志よりも、自らの派閥人事、利権争いに奔走しているのが実態である。

サッカー選手として、また指導者としてレベルが低いのは致し方ないが、人としての品性まで貶めてどうする。

そして、その下劣な幹部たちの甘言に乗せられて、賢しげな報道をするマスコミにも呆れてものがいえない。大方、日本サッカー協会の記者クラブに巣食うサッカー知らずのベテラン記者だろう。

日本サッカーは、長年にわたり高校サッカーと大学サッカー、そして社会人サッカーといった学閥、企業閥が横行する風土があったのは否定できない事実だ。そして、マスコミにはこの学閥、企業閥に食い込むことが記者の務めだと信じている人が多い。

学閥、企業閥の人脈を通じての取材をいけないとは言わないが、この記者たちは概ねサッカーに疎いことが多い。若い記者はともかく、ベテランの大半は野球界育ちであったりする畑違いが少なくない。

ご存じのとおり、日本のプロ野球界では、高校野球、大学野球、そして社会人野球が選手、指導者の供給先となってきた。当然に学閥、企業閥にコネがある記者が取材に有利な世界であった。

その流れは、サッカー界でも変わらず、サッカーに詳しい記者よりも学閥、企業閥に人脈がある記者が幅を利かしている。おかげで、サッカーに関する記事には、とんでもない間抜けな記事が少なくない。

日本サッカー協会と、マスコミの報道が低次元であることが、日本のサッカーの進展を妨げる障壁になっていることを私は確信しています。

コメント (2)
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