地に足が付いていないと思った。
小田原の福祉行政を担当する役人が、私費で生活保護を舐めるなとプリントされた服を着て、生活保護を求める人たちを威嚇したと新聞やTVが批難する報道があったのは先月のことだ。
その批判を浴びて、小田原市は止めるように指導したらしい。ところが、この事件で興味深かったのは、意外なほど役人側を擁護する意見が市井から出たことだ。マスコミはもちろん、市民系の政治家や福祉の専門家たちは、過酷な暮らしから生活保護を求める人たりを威圧する行為を批判していた。
にもかかわらず、むしろ生活保護を悪用、乱用する人たちと対峙する現場の役人の苦労を思い、応援する庶民の声は決して減ることはなかった。
もう既にバレているのだ。誰が生活保護を悪用し、それを支援している団体があることを。だが、マスコミはそれを報じることをしない。あくまで弱い者の味方面をして、生活保護の拡充を求める。
私は生活保護制度を否定している訳ではない。だが、本当に生活保護が必要な人よりも、生活保護を乱用している人たちが相当数いることを危惧している。
幼子を抱え、自らは低学力ゆえに水商売以外では、たいして稼げず、それでいて病気も抱え、親子ともども餓死してしまうような極端な例も出ている。生活保護のような福祉行政の対象だと思うが、役所に足を運ぶ余裕さえなかったようだ。
その一方で、仕事をせず、朝からパチンコ屋に並び、日がな一日ギャンブル漬け。働けないのではなく、働く気がなく、生活保護に寄生して生きている不埒な大人は少なくない。彼らは生活保護担当の役人を威圧し、強圧的に保護を求める。そして、それを支援する人権団体とかいう胡散臭い輩もいる始末である。
小田原市の役人が、ャPットマネーで彼らに対抗するかのごとき服を着て、仕事に臨むのは、むしろ褒められるべきではないのか。そう感じた人が多いからこそ、マスコミの思惑とは裏腹な結果となっているのだろう。
TV局や新聞社の記者は、市民団体や人権屋などを取材するよりも、もっと地道に生活保護の実態を取材するべきではないのか。安易に正義感面をせず、浮「人たちを取材することを避けず、本当に苦しんでいる人たちを取材する労苦を惜しむべきではない。
自分たちの報道が、実態とかけ離れている現実を直視する勇気をもてない以上、私はマスコミの報道を舐め腐ります。本当に価値ある報道なんて、滅多にない。それが、今のマスコミ報道なのだと考えています。