経験してみないと分からないことって、けっこう多いと思う。
プロレス好き、プロレスごっこ大好きな私であったが、本物のプロレスラーとは喧嘩はもちろん、実際に組み合ったことさえない。でも、そばで観ているだけでも、あの肉厚の身体から発せられる威圧感で、その強さは分かる。
プロレスラーの強さを分かっていると思っていたが、それは思い違いに過ぎなかった。
大学時代、体育の授業の前後に、アマレス部の同級生と高跳び用のマットの上で組み合ってみて、その凄さの一端が分かった。なにが凄かったて、その引き込む力である。
首の後ろに手をかけられた瞬間、凄まじい圧力で押し潰された。首から腰までの体幹の部分を完全に抑え込まれて、まったく動けなくなってしまった。あの引き込む腕力の強さは、柔道とも空手とも違う異質の強さであった。
レスリング経験者に組まれてしまったら、素人ではもうどうしようもない。アマレスでこれだから、プロレスラーともなれば、あれ以上の力なのだろう。あの抑え込まれて、まるで動きがとれない絶望感は、経験してみないと分からない。
もっとも、プロレスの世界ではアマチュア・レスリングは地味な扱いとなる。もちろんレスリングが基本であり、メダリスト級のプロレスラーはかなり居たが、正直地味なタイプが多かった。
決して弱かった訳ではないと思うが、地味過ぎてその強さが観客に伝わりにくかった。だから、アマレス出身のプロレスラーは自己表現に苦労していたと思う。ただ、依怙地な職人タイプが多く、地味なままで変わろうとしない頑固者が多かった。
その典型とも云えるレスラーが、今回取り上げる木戸修だと思う。
最近の若い人だと、美人女子ゴルファー木戸愛のお父さんといったほうが通りがいいらしい。少し残念に思わないでもないが、実際地味なプロレスラーであったので、無理ないかもしれない。
一応ヘビー級のプロレスラーであったが、正直ジュニアクラスの体格であった。ただ、肉厚の筋肉であるがゆえにヘビー級となっていた。だから小柄なヘビー級であったことも地味の一因となっていた。
しかし、その実力はヘビー級の大型レスラーに引けをとらなかった。あれはタッグトーナメントであった。腕相撲世界一の剛腕スコット・ノートンの相方M・ヘルナンデスが怪我で休場となった際、ノートンが指名したのが木戸修であった。
そして、この急造タッグコンビは、あのロード・ウォーリアーズの連続優勝を阻んでしまう活躍を見せたのだった。小柄な木戸が、超大型の外人プロレスラー相手に、得意の関節技を次々と極めて、相手を追い込んでいくさまには驚愕したものだ。
これだけ高い実力を持ちながら、木戸は常に控えめで、自分を売り込むようなことはせず、リングの上でいぶし銀のプロレス技を披露することで満足していた。まさにプロレス職人であった。