30年前、私が長期間の入院をしていた某大学病院の内科病棟は、新しく建て直された綺麗な建物であった。
また病棟の管理者であるN教授は、大学病院全体でも筆頭と云える存在であり、医師からも、また看護婦からも、ここで働きたいとの希望が多かったと聞いている。
そのせいか、医師も看護婦も優秀な人が多かった。もちろん例外もいたが、全体としては良かったと思う。これは、長期入院している患者たちからの意見なので、客観性は乏しいと思うが、吾が身を委ねる側からの意見なので、それなりに説得力はあると思う。
この病棟の看護婦さんたちのリーダーは、婦長のAさんである。小柄ながら、しっかりとした働き者、頑張りぶりであり、おまけに美人であった。間違いなく優秀な方だと思う。
でも、長く入院していると気が付くことがある。それは、なにか緊急時とか重要性の高い状況になると、教授や助教授、講師の先生方が呼び寄せるのは、Aさんだけでなくはなく、年配のBさんも呼び寄せていることに。
ちなみにBさんは、准看護婦である。その病棟に准看護婦はBさん一人であったから、余計に浮いてみえた。私が入院した年の新人看護婦のCさんは、いつもBさんと組まされていた。
はっきり言って、力量の差は明確であった。医療に素人の私でさえ、Bさんが技量が高いことはすぐに分かった。退院後の話だが、私がCさんをデートに誘いだしての話のなかで、病棟で実力一番の看護婦はBさんだと、Cさんは自ら認めていた。
でも、Cさんはこうもいった。「でも、Bさんは准看護婦だから婦長にはなれないの。仕方ないのよね」と。私はその言葉に、強烈なエリート意識を感じた。Cさん自身は、新人だから仕方ないけど、いつもBさんに助けてもらっていた。教えてもらっていた。それでも、看護婦と准看護婦の地位の差は、Cさんにとっては自明の理であった。
高い能力をもっていても、決して婦長にはなれぬBさんは、意図されてあの病棟に配属されたのだと思う。そして、そのことに一番プレッシャーを感じていたのは、他ならぬ婦長のAさんであった。
あれは、夕刻の透析室のことだ。入院以来、ずっとストレッチャーという移動式ベッドで病院内を動いていた私は、その時主治医の判断で、車椅子へ移ることになった。私は大喜びである。かねてからの希望であり、うきうきするほど嬉しかった。
ストレッチャーから寝たきりの私を車椅子に移すには、看護婦さん4人が補助してくれた。そのなかに婦長のAさん、准看護師のBさんもいた。女性四人がかりで車椅子に移された私は、それまで天井しか見えなかったので、光景が一変したことに嬉しい驚きを感じていた。
が、なんかおかしい。なんかおでこに汗が吹いてきた・・・
私は車椅子に座って一分と持たずに失神していた。そのことに真っ先に気が付いたのがBさんであった。主治医はもちろん、そばにいたAさんも気が付かなかったらしい。間が悪いことに、その場にはN主任教授と、鬼より怖いと云われてた総婦長もいた。
詳しいことは知らないが、この件でAさんは総婦長から、かなり厳しく叱責を受けたらしい。一方評価を上げたのは、やはり准看護婦のBさんである。ちなみに、このことを教えてくれたのは、例の新人看護婦のCさんである。そういえば、彼女もいたな、あの場に。
どうも、Aさんの婦長就任に不安を覚えた総婦長自ら、Bさんを補佐にあてがったらしい。そして、その不安は的中してしまったようなのだ。私は再び、ストレッチャー使用に戻されてしまい、車椅子に戻れたのは半月後であった。
あの件以来、Aさんは私の担当にはあまりならなかったように思う。私の気のせいかもしれないし、私自身はAさんを恨む気持ちも、蔑む気持ちもなかった。が、プライドの高いAさんには辛い事件であったようなのだ。
その後、私は冬が来る前に退院したのだが、案の定一年持たずに再発して、またも入院生活であった。でも、病棟にAさんはおらず、他の病院から来たという若干年配の方が婦長になっていた。ちなみに、Bさん、Cさんは隣の病棟に移っていた。
実は喧嘩以外で失神したのは、あの時が初めてであった。だから、余計にあの事件はよく覚えている。私が看護婦と准看護婦の差異について、意識するようになったのは、この時の経験が大きい。
高い実力を持ちながら、決して婦長にはなれぬBさん。一方、頑張りながらも、職務を全うすることが出来なかったAさん。誰が悪いとかの問題ではなく、制度としての在り方がおかしいのではないか。今も満たされぬ私の中の疑問なのです。