心の歪みを治す万能薬はない。
20代前半、私が一年近く入院していた大学病院にはいろんな患者がいた。なかでも忘れがたいのが九州男児であることが自慢のKさんであった。といっても、その時は隣の病棟に騒がしい患者がいる程度の知識しかなかった。
その後、一度退院して自宅療養に変ったものの、一年持たずに再入院となった。その時同じ病室であったのがKさんであった。もっとも最初は軽く挨拶する程度であった。正直、あまり好印象はない。むしろ嫌われている感がした。
後になって分かったのだが、私がレンタルTVを置かず、新聞と読書で時間を潰していることが不満であったようだ。よく分からないが、Kさんの頭の中では、私はいけ好かないインテリ野郎であったそうだ。
私がTVを観ないのは、十代の頃からであり、家にあまり居つかなかったので、必然的にTVを観なかっただけ。日常的にTVを観る習慣がないので、入院中も不要だと思っていただけである。
このKさん、えらく思い込みが激しい人であった。そのせいで、不幸を呼び込んでいるのではないかと思うほど、思い込みから一人相撲を取って自滅する。
以前にも書いた深夜の集会の常連であったが、私の同席も嫌々であったらしい。でも、Sさんに一喝されて、しぶしぶ認めていた。後になり、私が病院をしばしば抜け出して、買い物などをしていることを知ると、今度は仲間扱いしてくるようになった。
自慢じゃないが、私はじっとしているのが大嫌い。安静が大事だと分かっていたが、病棟で連日寝ているだけの生活に嫌気が射して、しばしば日中に脱走して古本屋巡りなどをして、帰りにSさんに頼まれたコロッケなどを持ち帰ったりしていた。
コロッケは、病棟の食事では絶対に出ないメニューの一つで、そのせいで長期入院患者には大人気であった。高価な惣菜や、珍しいお菓子よりも、コロッケや鳥の唐揚げのほうが内科病棟の患者には人気なんですよ。
そんな訳で、いつのまにやらKさんは私を認めてくれた。私は特段気に留めていなかったが、長期入院生活では同じ病棟の患者さんたちとの円滑な人間関係は重要だと思っていたので、悪い気はしなかった。
一年前はよく大声で騒いでいたらしいのだが、今は日中はほとんど病室で寝ていて、夜になると起き出してくる不良患者であった。いろいろ話したが、一言でいえば自分は常に被害者で、悪いのは全て他人という考えの持ち主であった。
結婚しているのだが、奥さんが見舞いに来ないとKさんは言う。しかし、他の患者さんからの話では、既に入院前から10年以上別居であり、その原因はKさんが外に愛人を囲い、その別宅に入り浸りであったから。
Kさんは元気な時は、腕のいい職人として金回りが良かったらしく、その別宅も愛人名義で買ってやったと自慢していた。でも、その愛人からはとっくに見放されていて、その別宅も売却されてしまい、居場所は不明。
そのことが分かってから、慌てて奥さんとよりを戻そうとしたらしいが拒否されて逆上。でも哀しいかな病気のせいで体力がなく、不埒な奥さんを懲らしめてやることができなかったのが痛恨の極みと嘆く。
どちらかといえば、不埒なのはKさんの方だと思うが、それを口にしない程度の常識は、私だって持っている。いや、他の患者さんたちも、なま優しく聞き流していた。事の真相を教えてくれたのは、この他の患者さんたちなのは言うまでもない。
なんで赤の他人である他の患者さんたちが真相を知っているかというと、問わず語りでKさんの口から訊きだしたらしい。なんだよ、自分で真相をばらしているんじゃないか・・・。
不平不満ばかり漏らしているKさんであったが、自身の不幸語り以外に関しては雑談の名手である。どちらかといえば強面顔のおじさんなのだが、語り口がやわらかで、入院している中高年の女性患者からは、意外と人気があった。
トルコ旅行でのハプニング、草津温泉でのどんちゃん騒ぎなど、面白、おかしく話してくれて、夜の集会の定番のお楽しみであった。決して自慢臭くなく、さりげなく、優しい口調での語りが上手かった。人気も当然であったと思う。
ただし、自分の不幸を語り出さなければね、と某女性患者は肩をすくめていた。でも、Kさんの頭の中では、奥さんが悪い、愛人が悪いで、自分は常に被害者であるようだ。そんなKさんにとって、最大の不幸は病院の医療ミスで腎臓を片方失くしてしまったことだと、散々ぼやいていた。(続く)