ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

敵討ち 吉村昭

2017-09-13 13:26:00 | 

死刑に反対する人は多いと思う。

だが、日本の場合、死刑を廃止すると仇討が復活してしまう可能性が高い。だから死刑制度は必要だと。

少し極論に思えたが、今でも仇討を良しとする感情はけっこうあると思う。もっとも、これは日本だけでなく、世界各地でしばしばみられる感情だ。

私自身、死刑よりも敵討ちのほうが遺族の思いに添うのではないかと考えていた。死刑と遺族による敵討ちの選択があっても良いのではないかと考えたこともある。

だが、表題の作品を読んでみて、私は自身の短慮を恥じた。敵討ちがこれほど過酷なものであったとは思わなかったからだ。考えてみれば、敵討ちが認められた時代ならば、相手もまた自分が敵討ちの狙いにされている自覚は当然にあるだろう。

だからこそ姿を隠すし、場合によっては反撃に出ることもあっただろう。そのような相手を探し、なおかつ唐ウねばならぬ。敵討ちをお上に届け出た以上、それを果たさねば、郷里に帰ることもままならない。

その結果、敵討ちの相手を探すだけでも数十年、それでも見つけられず、心が折れて不遇の人生を送った人も多かろう。また、せっかく遭遇できても、相手から返り討ちにあった場合もあるだろう。

その一方で、敵討ちに生涯狙われていると自覚し、それに怯えて暮らす相手の人生も悲惨である。気力、体力が充実しているうちはいい。しかし、老齢を迎え衰えた吾が身で、敵討ちに狙われて、警戒し怯えるのは心身ともに辛い。

近代の刑法が、敵討ちを禁止し、替わりに死刑制度を設けたのも、むしろ当然なのかもしれない。死刑制度の方が遥かに公平だし、受刑者にも、被害者遺族にも寛容な制度なのだ。

愛する家族を奪われた悲しみと怒りは、何時の時代、どの社会でも共通のものです。だからこそ、敵討ちを求める気持ちは普遍的なもの。されど、敵討ち自体は、確実でもなく、運任せの不平等な結果に終わることが少なくない。だからこそ、死刑制度が求められた。

死刑制度に反対な人は、是非とも一読して欲しい一作だと思いました。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする