過去を断ち切った生き方には、どうしても不信感が付きまとう。
非難している訳ではない。私自身の半生においても、過去の一時期は、事実上断ち切られた期間となっている。正直言って、あまり思い出したくない期間ではあるが、私の人格形成に少なからぬ影響を与えた期間であることも確かだ。
この期間に関わりのあった人たちとは、まったくの没交渉である。消息も知らないし、知りたいとの思いもない。他の期間について言うなら、私はかなり人付き合いの良い方だと思うし、それなりの人脈もあり、それは今も続いている。
しかし、あの時期だけは、どうしても積極的に関わる気になれない。精神的に荒れていた時期であり、人間不信が根強かった癖に、他者との関わりを求めて止まなかった時期でもある。
冷淡というよりも、未熟な甘ったれであることが今なら分かる。思い出すと、気恥ずかしさと後悔が脳裏を駆け巡るのが不愉快だ。だから、思い出したくもないし、あの時期に関係するものと関わりたいとは思わない。
おそらく安定した人生を送ってきた方には無縁の期間なのだと思う。自分ではどうしようもない理不尽さに、己の人生を振り回されて、心が少し歪んでしまった人に顕著なものではないかと邪推している。
それゆえに、隠してきたのに、予想だにしていなかった自然災害に襲われたことで、隠すことが出来なくなる場合もある。そんな時が来たらどうする。私なら相当に動揺すると思う。
だからこそ、表題の作品に出てきた人物の心象が、少しだが理解出来てしまう。ただ幸いにして、私は過去と今とをつなげる生き方が出来た。人生の一部の時期についてのみ、人生の裏面に隠してはいる。その裏面を表に出すことは出来ないし、再び踏み込みたいとも思っていない。
でも、いつかバレてしまうのではないかと内心、恐れている。思い通りに生きられるはずもなく、人生とは理不尽で横暴な力に振り回されるものだと達観している。それでも、厭なものは厭であることに変わりはない。
多分、人によっては、その厭な時期を断ち切るために、してはいけないことをしてしまうのだろう。そして、やがて破綻して、露わになる以上、そこから逃げ出さずにはいられないのだろうと思っている。
そんな人間の一面を抉り出したからこそ、この作品は直木賞を与えられたのだと思います。