嫌な予感しか感じない。
「銀河英雄伝説」で一世を風靡した田中芳樹が長い休みを挟みながらも30年に渡り書き続けてきた「アルスラーン戦記」だが、この第15巻が最後の一作前。もう書店では最終巻である16巻が棚積みされている。
だが私は最終巻を買うかどうかを迷っている。表題の15巻を読んでみて、絶望にも似た嫌な気持ちを、どう足掻いても拭いきれないからだ。
思えば、角川から光文社に移った時点で、もう決まっていたのだろう。角川の担当編集者は、田中芳樹に何度となく疑問を呈したはずだ。だが、田中は受け入れなかっただけでなく、発刊する出版社を変更してまでして我を通した。
元々この作品はファンタジー小説である。中世ペルシャに良く似た国パルスを舞台とした英雄譚である。その本質は娯楽小説である。少なくとも第一部(7巻まで)は、その路線を裏切らない。
いや第二部も9巻あたりまでは、娯楽小説の原則に忠実であった。だが、その後からおかしくなってきた。
私の記憶では、9巻あたりまでは順調に発刊されていた。しかし、この頃から田中芳樹は、いわゆる中国ものにはまっていく。「海嘯」や「隋唐演戯」などは、見事な抄訳だと私も認めている。
ただ少し気になっていたのは、同時期に発刊されていた「創竜伝」が、このあたりから妙に反日自虐的な傾向を感じさせていたことだ。この頃の始と続兄弟の会話には、明らかに現状の日本に対する嫌悪感が読み取れる。
それをシニカルな笑いに変えたのが「薬師寺涼子・シリーズ」ではないかと思う。このエリート警視様は、歪んだ日本社会の頂点に属する人種ながら、明らかに皮相的な暴れ方をして読者の笑いを取る。
笑えるのならば、私としては許容範囲である。しかし、如何に竜王様とはいえ、あの四兄弟を根暗に貶めるのは許しがたい。そのせいか、ここしばらく続刊が出ていない。
そしてあの問題作「タイタニア」である。虐殺は田中芳樹の代名詞ではあるが、あれはあんまりだ。読者の期待を踏みにじるあの顛末に納得した読者が、どれだけいるのだろうか。
もちろんあの傑作「銀河英雄伝説」でも多くの登場人物が死んでいる。でもヤンが死しても、ユリアンがヤンの夢を引き継いだ。ヤンがあれほどに守ろうとした民主主義は、きっとアッテンボローが野党議員として守り抜くはずだ。
そして夢半ばで死んだラインハルトではあるが、その打ち立てた新帝国は、賢妻であるヒルダが必ずや引継ぎ、守り、育てていくだろうことが読者には読み取れたはずだ。その傍らには軍を降りたミッターマイヤーが国務尚書として厳しくも寛容な政治をするだろうし、軍にはミュラーらが目を光らせていくことも分る。
主人公格の二人が死んでも、読者は安心してその後を夢見ることが出来た。これこそが、娯楽小説の王道である。
だが「アルスラーン戦記」にそれを望むのは難しそうであることが、この15巻で分かってしまった。田中芳樹がどのように終わらせるのか、まだ私は知らないが、まず主人公は死ぬであろう。
問題はそこではない。その先に読者は明るい未来を見出せるのか、どうかが重要である。私には否定的な予想しか出来ない。
思うに、この作品は時間がかかり過ぎた。若き日の田中芳樹なら違うエンディングがあったように思う。しかし、年齢を重ね、頑固で依怙地な今の田中芳樹には、もはや明るい未来を描けないのではないかと思う。
最終話の16巻、読むべきか、読まざるべきか。私は今、かなり真剣に悩んでいます。