初めて読んだエルロイのミステリーの読後感は、甘いフルーツがたっぷり入った強めのアルコール入りカクテルを飲んだようなものだった。隠し味に痺れるスパイスが入っていることに気が付いたのは悪い酔いしてからだ。
いや、スパイスどころか微量の毒に近かった。しかも中毒性のある毒であることは、しばらくしてから分かった。
当時の私は、サイコ・ミステリーにはまっていたので、並の作品ならば、さして影響を受けることはない。だがエルロイのミステリーは別格だった。読んだ後は、心が疲れてしまい当分は手に出すまいと思ていた。
でも、これは二日酔いの朝に、トイレで便器を抱えながら「もうお酒は飲みません」と嘆いているのと同じであった。しばらくすると、再び読みたくなるのが、エルロイのミステリーの恐ろしいところである。
初めて読んだのは「ブラック・ダリア」であったが、その後ロス暗黒4部作や「アメリカン・タブロイド」などを読んできたが、なにが私をここまで惹かれるのか、少し疑問であった。
少し、と書いたのは内心そうではないかと思っていたことがあるからだ。私が惹きつけられるのは、ある種の同族意識があったからだろうと予測していた。そのことを確認できたのが、表題の作品である。
アメリカ・ミステリー界の狂犬呼ばわりされるエルロイであるが、表題の書を読めばその半生は文字通りの犯罪者であることが良く分かる。殺人や大量破壊などはしていないが、軽犯罪なら日常的な反社会的人間である。
一応書いておくと、私が警察の世話になったのは、幼少期がほとんどで、10代になってからは、そんなヘマはやらかしていない。もっともバイクや車を運転するようになると、道路交通法違反だけは小さいやつをチマチマとやっている。
でも刑法はもちろん、商法、民法などにひっかかるような不始末はいっさいやってない。いや、バレてないが本当のところだろう。他人様の敷地に無断で入り込んだりといった小さな悪事はやっているが、その程度である。これは不動産評価のため、仕方なくやっている。
では、なにが私をエルロイの同類だと見做せるのか。それは今まで書いきたとおり。もうお気づきの方もいるであろうが、私は法律を絶対視していない。小さかろうと、それは法令違反であることに変わりない。それは分かっている。
ところが、私は自身の心のうちにあるルールにこそ拘るが、案外と法令を平然と踏みにじる傾向がある。それは、やはり不味いことだと自覚はしているので、さすがに近年は気を付けている。
そのかわり、自身の心のルールに対しては、絶対的な遵守を自ら決めている。それが一社会人として、いささか問題あることは分かっているので、通常は口にもしないし、行動することもない。
でも、もしその必要があると認めたならば、私は多分平然と法を踏みにじる可能性が高いことも自覚している。幸いにして、そのような物騒な境遇に陥っていないのは、多分幸運だからに過ぎない。
もっともエルロイは既に踏み込んでしまった人。私とは覚悟の深さが桁違い。よくぞ、よくぞ堅気の世界に戻れたと驚嘆すべき作家である。
表題の作品は、ミステリー作家として世に出たエルロイが、その後母の死の真相を追い求める形で語られるエルロイ自身の半生の記である。ミステリー界の狂人、最北端の異人を生み出した背景を知りたければ、必読の書といってよいでしょう。
あァ~多分、私は終世エルロイから離れられない気がする。読むと心が疲れるので、あまり読みたくはないのですけどね。