1970年代のことだが、「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」からの問題提起により連載を終わらせられた漫画があった。
それが表題の作品である。曰く、女性を蔑視している可能性がある、とかなんとかである。
当時、中学生だったと思うが、あたしゃ激怒したものです。こんなスケベな、いや男性の本能に忠実な作品にケチつけるとは、なんという意地悪な奴らなのだろうと怒り、哀しんだものである。
でも内心、アレはやりすぎだよなとも思っていた。アレっていうのは、体育館を埋め尽くすほどのアレである。ぶっちゃけウンコである。文章にすると、えらくグロく感じるが、漫画を読んでた時は爆笑するしかなかった。
しかし、真面目な話、私は永井豪の漫画に女性蔑視を感じたことはない。むしろ女性の性的な魅力に囚われた漫画家だと思っていた。その作品中、暴力で女性が虐待する場面が描かれることはあったが、根底から感じ取れるのは、それがヒドイことだとのメッセージは確かにあったと確信している。
それは少年向け漫画であろうと、青少年向け漫画であろうと一貫して変わることがないものであったと思う。きっと永井豪は、女性が大好きなのだと思う。
まァ、スケベ心満載の青少年の気持ちに寄り添った漫画家として、贔屓目で読んでいたのは確かだが、悪意なきスケベ心を持ち続けた人なのは確かであろう。
ちなみに冒頭の団体だが、ハウス食品のラーメンのCM「私作る人、僕食べる人」にも文句を付けたことで知られている。当人たちは、自分たちの善行に意気揚々としていたらしい。
しかし、支援の輪は思ったほど広がらず、後に「行動する女たちの会」に名称変更するも、冷戦終了後の1996年に解散に至っている。
その解散の報道を読みながら、そりゃ無理ないな、よくぞここまで続いたもんだと冷笑していたのが病気療養中であった私である。この団体から離れても、今現在も活躍している人がいるのは知っている。
でも、女性の地位向上があったとしても、それは彼女らの活動ではなく、日々の生活、仕事などで必要不可欠な人材となって活躍している女性たちの実績に起因するものだ。
口先だけで、女性の地位向上を叫ぶだけの輩に何の功績があったと言うのか。むしろ馬鹿なことを言って騒ぐだけの輩だと、見下げられていたのではないかと思う。
ただ男性、あるいは既成の指導者層(議員とか社長とか)にも、未だに女性の地位向上に否定的な人々がいるのも確かだ。馬鹿としか言いようがない。この高齢化社会と、少子化を迎えつつある社会にあって、女性を戦力として数えない愚が何故に分からない。
男だからとか、女だからではなく、人材として優秀なものを活用していかなければ、次世代を生き延びられない厳しさから何故に目をそらすのか。ソフト産業が主流となっていく21世紀においては、男女の能力格差はほとんど問題にならない。
男性主流が当然であった軍隊でさえ女性兵士の活用は必然である。
とはいえ、ここで勇ましく騒いでも意味はない。ただ苛つくだけだ。そんな時こそ、表題の漫画を読んで大笑いして欲しい。40年以上昔の漫画ではありますが、今でも十分笑える面白さがありますぞ。ちょっとエッチですけどね。