ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

ヴィーガン

2019-06-04 13:11:00 | 社会・政治・一般

僕はトマトだよ。

ベランダのプランターで育てられた御坊ちゃまなのさ。ようやく明るい陽射しを浴びて、実が赤色に色づいてきたんだ。

ところが、この家の人間が、残酷にも僕を枝から切り離してしまったんだ。僕はもっと大きく育ちたかったのに・・・

その挙句、「採り立てが一番美味しい」とか言って、いきなり僕に噛みついてきたんだ。痛い、痛い、痛いよぅって叫んだけれど、鈍感な人間には、僕の声は聞こえないらしい。

あっという間に僕は噛み砕かれて、その短い生涯を終えてしまったんだ。

人間って勝手だよ。

動物を食べるのは可哀そう。だから私は植物しか食べないだなんて、なんて勝手な言い草だろう。僕ら植物に生きる意志がないとでも思っているのだろうか。声を出さなくても、僕らは意思表示できるんだぞ。

僕ら植物だって、生きているんだ。

ヴィーガンだか菜食主義だか知らないけれど、そんなの人間だけの思い込みさ。でも人間なんて、この地球では新参者に過ぎないぞ。僕らは数億年前から生きてきたし、氷河期だって生き延びてきた。今よりずっと暑い時期には、この大地のほとんどを覆い尽くすほど繁栄していたんだ。

だから断言する。この残酷な人間たちが絶滅しても、僕ら植物は生き延びるってね。人間の死骸を肥料にして大きく育ってやるんだ。

僕ら植物を踏みにじり、噛み砕き、蹂躙した人間どもは、いつかは必ず僕ら植物の肥やしになるんだぞ。


まァ真面目な話、植物に話すことは出来ないでしょう。でも私は過去の経験から、植物にも生きる意志があると信じています。特にこの新緑の緑が色濃くなり、植物が繁茂する時期に、山で道なき道で、草木を薙ぎ払いならら登った日は、必ず寝苦しい夜を過ごしたものです。

本来なら疲労から熟睡できるはず。でも、藪漕ぎなどして草木を鉈で刈り払い、根元を踏み潰して、藪に道を切り開いた時は、妙に寝苦しい。まるで植物の恨みを買ったのではないかと思うほどに、寝づらい夜を過ごしたものです。

別に菜食主義は構わないのですが、植物だって生きているし、生きる意志を持っていると私は信じています。動物食を避けていても、植物の命を奪っているのです。それを誇らしげに「私はヴィーガンです」なんて語られても、私は困惑するばかり。

植物なら殺していいのかよ。

人間って生き物は雑食性。植物や動物の命を喰らって生きているのです。生き方なんて自由だし、なにを食べようと自由ですけど、ヘンな思い込みを強要されたり、誇示されたりすると、なんかウンザリしちゃいますね。

コメント
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