東京には「東八道路」と呼ばれる道がある。
府中の試験場前の大通りとして知られている。片側二車線の快適な道路で、そのせいかスピード違反をし易い道路でもある。しかし、この道路の名称は看板に偽りありの典型であった。
今から73年前だが、東京都に於いて東京都心から八王子へ繋がる甲州街道を補完する第二の道路として計画されたのが始まりだ。東京都は横に細長い自治体であり、東西をつなぐ幹線道路は、青梅街道と甲州街道の二本だけであった。
そこでもう一つ、東西をつなげる道路として計画されたのが東八道路であった。しかしここ半世紀近く、東八道路は、実質府中三鷹道路に過ぎなかった。府中から先は、日野バイパスにつなげる予定だが、ここは未だに工事中である。
一方、三鷹から先は片側一車線の狭い道(下本宿通り)になり、ここが渋滞してしまうのは必然であった。私の家がこの通りを一本入った奥にあるため、この狭い道路の渋滞には、長年辟易していた。
三鷹の先に居座っていた家が立ち退いたのは十数年前だが、その先も住宅街なため、片側二車線は夢のまた夢であった。そこで痺れを切らした東京都は、少し北側にある玉川上水に目を付けた。
玉川上水の両脇を再開発して、川を挟む形で東八道路の新迂回路とする計画を打ち出した。この当時、私は地元の自治会の役員をしていたので、あれこれと説明会などにも顔を出していたが、総論賛成各論反対な上に、環境問題も絡みだして、上手く計画が進むかどうか怪しかった。
しかし、反対派の重鎮の一人が亡くなり、その土地が買い取られてからは急激に計画が進んだらしい。4年ほど前から工事が急ピッチで進み、今月ようやく三鷹から先が甲州街道と直結された。
これは地元の私にとっても大きな変化であった。駅までの通勤の途中に片側二車線の大通りが出来たのだから、信号待ちで駅までの時間が延びてしまった。今までは渋滞している細い道で、車の間をちゃっちゃとすり抜けていたので、むしろ安全になったと言うべきなのだろう。
それにしても計画以来70年以上である。正直呆れてしまう。一つには日本独特な土地は値下がりしないといった神話が根付いていたことがある。実際、この東八道路の妨げになっていた家の多くが、その土地にしがみ付き、離れたがらなかったのが計画が遅れた最大の原因であったはずだ。
しかしバブルの崩壊で土地もまた値下がりすること。また少子化により家が余ってきたことにより、必ずしも土地を相続することに拘らない若い世代が増えてきたことが、計画推進の大きな要因となったようだ。
この東八道路、残すは府中と日野バイパスをつなぐ区間だけ。かなり工事は進んでいるが、未だ開通の時期は公表されていない。私が元気に車を運転できるうちに開通して欲しいものである。