美しく年齢を重ねた女優の一人に、吉永小百合がいる。
演技力だってあるし、こんな風に奇麗に老いることが出来ることへの敬意もある。でも、はっきり言います。この人、社会人としてはバカです。
芸能界で生きていく以上、様々な制約があるのは当然です。芸能プロダクションの意向には従わざるを得ない。TV局や劇場の意向に従わざるを得ない。なによりスポンサーやファンの意向は無視できない。
華やかな美名とは裏腹に、様々な制約の下で生きていかねばならないのが芸能人の定め。それは分かる。でも、やっぱりバカ。
ところで、吉永小百合といえば、都立駒場高校の出身だ。東京第二学区の出身者なら分かるように、二学区内では戸山高と並ぶトップクラスの優秀校である。
学力(偏差値)が高いだけではダメで、内申も相当良くないと合格は無理である。でも、やっぱりバカだと思う。
彼女の置かれていた状況は理解できる。あの頃、つまり1960年代から70年代は、まだ社会主義が未来の理想像として光り輝いていた時代だ。若者で、社会主義に共感を示さない者は無知だと謗られて当然であった。
若者だけでなく、教師、労働組合、新聞社やTV局にも社会主義を礼賛する者は数多いた時代である。まだ小学生であった私でさえ、日本の未来は社会主義にこそあると思い込んでいた時代である。
でも大人になる過程で気が付いた。気が付かざるを得なかった。
人間は社会主義を体現できるほど賢くもなく、平等を受け入れるにはあまりに嫉妬深いことを。私はそれを明確に理論化こそ出来なかったが、浅間山荘事件や大学での繰り広げられる内ゲバ闘争に、現実の残酷さを直視することで社会主義に別れを告げることが出来た。
でも、日本ではどうしても社会主義の残像に捉えられて、現実を直視できない人たちは相当な数に上った。青春時代の情熱が、どうしても過去を美化して、現実を見据えることが出来なかった。
やがて訪れたベルリンの壁の崩壊とソ連の解体で、社会主義の惨めな失敗が露呈された。それでも彼らは過去を改めることが出来なかった。輝きを失した社会主義に替わり、日本を貶めることで自己のプライドを守ろうとした。
いわゆる反日自虐の言論人が生まれたのは、ある意味、高すぎたプライドを守るための必然だったのだろう。吉永小百合の不幸は、彼女の取り巻きが、揃いもそろって、意識の高い左派系文化人であったことだ。
吉永小百合のファンであり、支援者であり、後援者でもある。反日自虐の文化人に取り囲まれたが故に、彼女は過去を素直に省みることも、反省することもできなかった。多分、その気もなかったと思う。
表題の映画は、女優・吉永小百合の代表作の一つである。キューポラ(溶鉄炉)工場が沢山立ち並ぶ川口市で、朝鮮人への差別と経済的貧困に苦しむ市井の人々を描いた傑作である。
私はこの映画を小学生の頃に、教会の人たちに連れられて観に行った。だから、あの頃の北朝鮮への帰国事業を賛美する雰囲気は覚えている。この映画が、帰国事業に与えた影響は大きいことも分る。
だが、北朝鮮へ帰国する夫家族に付いていった日本人妻たちは、そこで地上の地獄を味わされる。労働者の天国と聞かされていたが、実際には日本を遥かに上回る飢餓の土地であり、貧しい者が、より貧しい者を食い物にする生き地獄であった。
このことが分かったには、ベルリンの壁の崩壊後だとされる。でも、水面下では「あの国はおかしい、連絡も取れないし、取れても金ヨコセ、食べ物ヨコセ、しか言ってこない」といった噂は出回っていた。
やがて分かったのは、飢餓のなかで多くに帰国者たちが収容所で惨めに死んでいったこと。日本人妻たちの多くもそれに追随されたこと。生き残ったのは、一部の富裕層だけであったことだ。
だが、この北朝鮮帰国事業を主導した朝日新聞は、ひたすらダンマリを決め込んだ。朝日だけではない。当時は、読売も毎日もみんなこの帰国事業を絶賛していたはずだ。当時は日本全体が、そのような雰囲気であったと思う。それに一役買ったのが、この映画であり、ヒロインを演じたのは吉永小百合である。
だが善意で行ったが故に、その善意を裏切った北朝鮮を非難するような言動を、社会主義讃美者たちがとらなかったのも事実だ。もちろん、吉永小百合もその一人である。
芸能プロダクションが引いてきた仕事であり、監督の命じるままに演技した俳優に、北朝鮮帰国事業への協力をした罪を責める気はない。しかし、あの残酷な結末が露呈してもなお、過去を賛美し、不快な事実をなかったものとする姿勢には、どうみても良い評価は出来かねる。
ただ、私にとって忘れがたい映画でもある。
貧しかった我が家の家計を思い、私は中学を卒業したら働くつもりであった。数学や英語は嫌いだったが、国語や歴史は好きだったので、高校への未練はあった。でも、私が働けば、妹たちは高校に行かせられると思っていた。
ところが、この映画でヒロインの吉永小百合が定時制高校へ通うことを決める場面で、目が点になった。そうか、昼間働いて、夜高校へ通うことも出来るのか。これなら高校に行けるかも・・・
私がこの映画を忘れがたく思う所以なのです。
もっとも中二の冬に、離別した父が現れて進学の学費の問題を解決してくれたので、定時制に通う必要はなく、堂々普通科の高校に通えた。いろいろと文句がある父ではあるが、この点では本当に感謝に耐えないと思っているのです。