ヌマンタの書斎

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ハーフムーンセレナーデ 河合奈保子

2019-12-13 14:23:00 | 音楽

日本作曲家協会に所属している唯一のアイドル歌手、それが河合奈保子だそうだ。

彼女は松田聖子と同時デビューであった。丁度、私が高校生の頃だった。クラスの男子の間では、聖子派と奈保子派に人気は二分されていたが、如何せん松田聖子は歌の上手さと楽曲に恵まれていた。

当初は「ぶりっ娘」とか云われて、女性から揶揄されていたが、気が付いたら聖子ちゃんカットと称された髪型が十代の女の子の間に流行していた。その歌唱力は、表現力の豊かさと、語りかけるような親密感とが相まって、ヒット曲を連発する歌手へと育った。

そのせいで、河合奈保子は格落ちに見られることが多かった。だが、当時から私は彼女の歌唱力も、そうそう引けを取るものではないと感じていた。実際、彼女は子供の頃から歌手に憧れ、ピアノを習い、作詞や作曲もやっていた。

そして初めて自ら作曲して発表されたのが、表題の曲である。その後、香港の男性歌手である李克勤(ハッケン・リー)が「月半小夜曲」としてカバーして、広東語で歌い大ヒットした。今でも東南アジアでは良く知られている曲である。

アイドル歌手でも作詞や作曲をする人は、そう珍しくないが、大半が自分のLPやCDに収録されるに留まる。その点他の歌手にカバーされ、しかも海外での大ヒットがあったからこそ、河合奈保子は日本作曲家協会への所属を認められたのだと思う。

ところで、私がいつこの曲を聴いたのかは不明である。発表されたのは1986年であり、既に社会人となっていた私はもうアイドル歌謡には興味を失していたはずだ。

思うに、その後難病に罹患し長期の療養生活の時期にFM放送でエアチェックしたのだろうと思う。当時、気に入った曲を録音して、カセットテープに再編集する癖があり、そのなかでもお気に入りの曲は、車に積み込んでドライブ時に聴いていた。

そのカセットテープに収まっていたのが、この曲だった。PC用のスピーカーを買い替えて、イイ気になってお気に入りのテープを探し、ユーチューブで探したら、驚いたことに河合奈保子の曲だと、そこで気が付いた次第。

エアチェックだと、曲名までは書き写せても、歌い手が分からなくなっていること、ままあるのですよね。実はまだ他にも歌手、題名が分からないけど好きな曲は幾つかあります。

まァぼちぼちと探してみますよ。これは、これで楽しい探索ですから。

コメント (2)
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