何故にマスコミって奴は、あれほど上から目線なのだろうか。そんな疑問に一つの答えを呈示してくれたのが表題の作品だった。
明治維新後、西欧的な近代化を目指した日本において、報道の役割を担ったのは元・武士階級の者たちであった。
よく武士の商法とかいうが、明治維新により職を失った武士たちが商売を始めたものの、その高慢さから失敗することは多かった。だから、多くの元武士たちは、その知識と教養を活かせる仕事を求めた。
江戸時代の武士は、戦士ではなく官僚であった。そのせいか、明治維新後も国家に仕事を求める人は多かったが、薩長に敵対的であった旧藩出身者が冷遇されたことは確かだ。
そのような時代の事情から、文明開化の一端として日本でも新聞が発行されるようになると、その記事の書き手には元・武士であった者が数多く採用されるようになった。
そして、その記事は必然的に明治政府に対して批判的であることが多かった。そりゃ、そうだろうと思う。明治政府のせいで武士としての立場(失業)を失い、武士の魂である刀を持てなくなったのだから。
だから明治時代に始まった新聞報道の多くが、反政府的な立場から書かれたばかりでなく、妙な上から目線を持って記事が書かれてしまった。もちろん、当時は言論の自由なんてものは重視されていなかった。いざとなれば、嫌がらせから、本格的な妨害まで新聞社に対する圧力はあった。
しかし、記事を書くのは腐っても武士である。むしろ反骨精神をたぎらせて、政府への批判記事を書き散らかした。まだ選挙もなく、ほぼ独裁政府だと言ってよい明治政府も、この新聞などの反政府的な報道には辟易していたらしい。
だが、武士も人の子だ。日露戦争の停戦の時には、政府に戦争継続を訴え続けて市井の喝采を浴びたが、日華事変の際に戦線縮小の記事を書いたところ、地方の退役軍人会の不買運動には勝てなかった。
余談だが、大阪の地方新聞に過ぎなかった朝日新聞が、全国紙に急成長したのは、日露戦争での戦争継続の論戦を張ったことが契機である。今では信じられないかもしれないが、戦争拡大、戦争継続を叫んで全国紙に成り上がったことは、是非とも覚えておいて欲しい。
また太平洋戦争の敗戦後、GHQの支配下で米軍兵による婦女子暴行が横行すると、それを批判する記事を書いたまでは良い。その後、GHQからの圧力に屈して、その後のレイプ報道を差し控えてしまったのは、いささか情けない話である。
表題の書は、産経新聞の記者であった著者により書かれたものだ。記者だからこそ、各新聞社が曝されたくない過去の汚辱を書けるのであろう。私が知っていることも、知らなかったこともあり、マスコミが隠している過去の汚点がまだまだあることが伺い知れて面白かったです。
しかし、元武士が日本の近代報道の始まりだったとは、正直驚きましたよ。この視点は意外でした。機会がありましたら、是非ご一読を。