ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

いわゆる冨田メモについて

2006-07-25 09:23:29 | 社会・政治・一般
まず一言、これはスクープではなくリークでしょう。つまり意図的な情報漏えい。

以前から小泉首相の靖国参拝に反対していたのは、大きく分けて2グループあると思います。一つは左派平和市民運動家を中心とした従来からのグループ。もう一つは、自民党内の反小泉陣営と中国で円滑に商売がしたい財界が中心のグループがあると私は考えています。おそらくは、今回の富田メモの出所は、後者のグループからではないかな。

いくら反対すれども靖国参拝を止めない小泉首相を、中国や韓国といった反日志向の強い国を煽って参拝中止を目論んだものの、まったく動じる姿勢をみせない小泉首相。そこでアメリカにも靖国参拝反対の意見があるかの如き報道をして、参拝中止を狙った。ところがアメリカの高官の意見を、わざわざ誤訳して報道したものだから、かえって狙いが逆効果になる始末(TBSね)。

自民党をぶっ壊すと言いつつ、自民党主流派(橋本派)を切り刻んだ小泉に対する恨み骨髄の想いが、眠っていた資料「富田メモ」を引っ張り出したのではないか。

従来の左派平和市民グループは、昭和天皇を戦争を主導した首謀者の一人という位置づけでしたから、今回の「富田メモ」はむしろ、その主張を危うくする資料としての性格があるゆえに、出しづらい資料だったはず。

一方、反小泉陣営には、そのような弱み(?)はない。要は小泉首相の影響力を弱めることが出来れば成功。産経以外のマスメディアは、これで靖国参拝は厳しくなったと大騒ぎしているようです。でも、小泉首相の態度は相変わらず。さすがに後継候補たちは、慎重な姿勢をみせているから、一応策略は成功したとみるべきなのか。

「富田メモ」の真贋、及びその内容はともかく、今回の騒ぎの主眼は小泉後の主導権争いの一環ではないのでしょうか。情けない話です。大幅な赤字財政、少子高齢化社会への対応、教育、司法と国内問題だけでも山積しているのが今の日本の現状です。

政治家同士の足の引っ張り合いではなく、堂々と国民の前で将来への展望を語り、議論してもらいたいものです。
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改めて中田英寿

2006-07-24 12:30:47 | スポーツ
中田英寿の引退後、彼を評する様々な論評が出ています。なかでも目立つのは、中田を讃える一方で、現在の日本サッカー界を非難する論法です。

如何なものかと思う。

中田は個人としては、日本の最優秀なサッカー選手であったことに異論はない。しかし、サッカーは11人でやるスポーツであり、11人のうちの一人として観ると、最優秀とは言い難い面があったと私は考えています。

十代の頃から世界を目標に置き、そこで戦うことを当然のものとしてのプレーに拘った中田。当然、彼がピッチ上の仲間に要求するプレーも、その理想に沿うものであった。早くて正確なパス、ボールを前に進めること、一対一で勝つこと等、その主張は明快であり論旨の通ったものであることは私も認める。

でも、ピッチ上の全ての日本の選手が中田であったわけではない。中田の理想は理想として尊重はしても、現実の日本人選手の現実に合わせたプレーが必要だと考える選手は少なくなかった。その代表が小野だった。鋭すぎる中田のパスに対し、エンジェルパスとまで称された受け手に優しいパスを身上とする小野は、反中田陣営の中心であった。

そして小野には、常に周囲に仲間を集める信望があった。小笠原、遠藤、稲本、高原といった黄金世代のメンバーを中心に、代表チームでは隠れたボス的存在であった。実際問題として、ジーコJAPANは、中田がいない時のほうが勝率は高い。もちろん重要な試合、すなわち強敵との試合に中田は招集されていたから、単純に比較は出来ない。

しかし、ベストメンバーを揃えたイングランドに引き分けた試合や、アジア選手権の優勝をみてもわかるように、中田抜きのチームのほうが好成績なのも事実。なぜか?やはり日本は、チームで力を合わせて闘ってこそ強いチームなのだと思う。はっきり言って、中田抜きのほうが、チームは力を結束できた。

やはり中田が個人主義でありすぎたことが、信望を得られなかった最大の原因だと思う。周囲に合わせる事を厭い、あくまで個人の主義信条に固執した中田は、他の選手から反発を買いすぎた。中田自身は、「仲良しチームでは世界とは戦えない」と正論を吐いたが、チームで戦うことを最大の利点としてきた日本のサッカーには、それは実現困難な正論だった。

実のところ、中田がイタリア、イングランドと幾つもの有名クラブを渡り歩きながら、結局どのチームでも長く活躍することが出来なかったのは、中田の理想への固執が原因である気がしてならない。中田は優秀なサッカー選手であったが、優秀なチームメイト足りえなかったのではないか。

現実から乖離した理想にこだわり過ぎて結果を出せなかった中田。その中田を信じたジーコ。私に言わせれば、中田の理想は現実の日本のサッカーの問題点を浮かび上がらせただけであって、その理想への拘りが、却って日本を敗戦へと導いた。実現可能な理想であってこそ、価値がある。実現できなかったのを中田一人の責任とは言わないが、だからといって中田を美化する理由にはならない。

個人主義的でありすぎた中田は、現在あまりに賞賛されすぎだと思う。
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「ヒトクイマジカル」 西尾維新

2006-07-22 15:37:18 | 
最近「西尾維新」にはまっている。

以前、5月くらいに、このブログでも取り上げたが、この著者の言語感覚は癖になる。既成の作家にはない、特異な日本語の用法。特に根拠があるわけではないが、多分ワープロソフトが生み出した言語感覚だと思う。

私は普段MS―MEを使って書いているが、以前使っていたATOKの方が頭がイイと思っている。ただ、一番多用するEXCELの流れで、已む無くIMEを使っているが、時折日本語変換の頭の悪さに苛立つことがある。

ところが、どうも西尾氏は、この変換のおかしさをアイディアとして活かしている印象がある。同じ読みで、異なる漢字を使う、西尾氏の文章は読んでいて、妙にはまってしまう。

さて、西尾氏の「戯言シリーズ」だが、シリーズ一作目では登場人物に奇想天外な人物が多く、それが主人公を普通の人にみせていた。ところが2作目以降を読むと、この主人公もまた、とんでもない人物だと分かる。はっきり言って、私は嫌いだ。

嫌いだと断言できる主人公の活躍する本を、何冊も読んでいる私もヘンだ。何で嫌いなのだろうと考えてみると、どうも自分自身の内に潜む、卑怯さ、臆病さを思い起こさせることが原因ではないかと思う。作品中で、誰にでも似ている、似ているいようで、実は誰にも似ていないと評される主人公は、作品の他の登場人物から嫌われつつも、応援される不思議なキャラクターであるようだ。

現実にこの主人公のような人物が身近に居たら、間違いなく私、苛めるな。苛めつつも、案外可愛がるかもしれない。成長する姿を見てみたいからだ。実際、ライトノヴェル関係の本の人気投票をやると、男性キャラ1位の人気ぶり。なんか分かる気がする。

シリーズも残すところ、後三冊。エンディングをどのように迎えるのか分かりませんが、いい意味で読者の期待を裏切って欲しい。この年になると、いささかひねくれた本の読み方をするので、このように夢中になれる本と出会えることは稀です。是非とも楽しませて貰いたいものです。
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「ホルクロフトの盟約」 ロバート・ラドラム

2006-07-21 09:06:24 | 
私は陰謀史観というものを好まない。ただし、小説のネタとしての陰謀は大歓迎である。だって、面白いから。

されど、面白くあるためには、その陰謀は壮大で華麗でありながら、現実的で実効性のあるものでなければならないと思う。そんな陰謀を小説のネタに仕込ませたら第一級なのが、アメリカのロバート・ラドラムでしょう。

小説家というものは、職業的嘘つきだと思う。その嘘が魅力的であることこそが、その小説家の腕の見せ所。あまりに広げすぎの嘘は、空々しい。奇想天外も度が過ぎると、かえって真実味を喪失する。実際にありそうで、でもあるわけないよと思わせつつ、首筋に水を垂らされたような驚きを与えてくれる楽しみ。それが私のラドラムの楽しみ方です。

不思議だなと思うのは、日本ではラドラムやフォーサイスのような作家は、まず出てこないこと。亜流というか、上手とは言えない物まね的作品ならあるのですが、地に足が着いていない観があり、私はあまり評価していません。

多分、日本人の精神風土が、多分に国際的陰謀に不向きな面があるからでしょう。よく言われる日本の外交の稚拙さは、なにも外務省や政治家だけの問題ではないはずです。海という天然の防壁に守られ、大半が同じ日本民族で占められた社会においては、国際的謀略とは無縁で居られましたから。

道路を渡れば外国であり、違う顔、異なる言語と接しながら暮らす大陸の暮らしは、当然に国際的情報への感性が磨かれ、危機意識も発達する。そのような社会風土があるからこそ、ラドラムやフォーサイスが生まれる。

とはいえ、少子高齢化が急速に進む日本も、早晩外国からの労働力としての移民を受け入れざる得ない状況になるでしょう。そうなった時には、様々な異文化間の軋轢が生まれ、島国根性の安穏としていることを許さない環境になる可能性は高い。

そのような状況下から、日本的なラドラムやフォーサイスが生まれるかもしれません。私がその時まで生きているかどうかは分かりませんがね。
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「裁くのは俺だ」 ミッキー・スピレイン

2006-07-20 09:34:07 | 
真似されるってことは、それだけで評価されていいと思う。

17日、アメリカの作家ミッキー・スピレイン氏は逝去されたとの報が新聞の死亡欄に掲載されていました。一応、ハードボイルド系の推理小説作家だと思います。一応と前置きしたのは、正直言って推理小説としては、それほどの名作とは言い難いと評さざる得ないからです。

そうだとしても、スピレイン氏の生み出した探偵、マイク・ハマーは記憶に残る主人公でした。それどころか、ハマーの亜流を数多く生み出した傑物だと評していいと思います。実にアメリカ的な探偵でした。推理力よりも行動力。捜査というより腕っ節。後年多くの類似の探偵を生み出した、タフガイ型探偵のはしりがマイク・ハマーでした。

推理小説としてはたいしたものではなかったと思いますが、エンターテイメントとしては面白かった。スピード感というか、疾走するかのごときストーリー展開は十分楽しめた。ハメットほど大人でもなく、マクドナルドほど深みもない。されどそんな感慨をぶっ飛ばすほど、マイク・ハマーの暴れっぷりは気持ちよかった。

だからこそ、多くの亜流を生み出したのだろうと思います。それにしても、アメリカ以外では有り得ない探偵でした。
コメント (2)
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