子供の頃から、私は妙に会社員に憧れを持っていた。公務員に憧れたことはない、あくまで会社員でなくてはいけなかった。
はっきりと断言は出来ないが、それは父親のせいだと思う。幼い頃、離別した父は、仕事第一の会社人間だったと聞かされていた。それが母と離別した理由だと思い込んでいた。母の気持ちはいざ知らず、私は父のように仕事に賭ける会社員になりたいと思うようになっていた。
十代半ばの頃から、私は自分自身の資質を、大きな機械のなかの優秀な歯車たらんと見定めていた。自分がリーダータイプでないことは自覚していたが、組織のなかの優秀な構成員としてなら、それなりの価値があるだろうと考えていた。
リーダーとしては力量不足であったが、リーダーの下で采配を振るう力量なら、そこそこ自信があった。物事を的確に見定め、公平に配分し、効率的に動かすことなら、私にも出来ると思っていた。
だからこそ、就職は大企業。それも老舗ではなく、新興企業こそ実力が発揮できるはずと見込んで就職活動をした。目論見とおり就職して働きだした。営業志望だったのに、なぜかSEに配属されたのが不満だった。研修中の休日に、一人勝手に営業をして、ある全国チェーンの登山具店と代理店の仮契約の話をとってきた。それをたてに営業に配置換えしてもらった。人事からは睨まれたが、営業本部長が気に入ってくれた。人事との兼ね合いから、一度は地方支店に飛ばされたが、来年は本部で鍛えてやると口約束を貰い、意気揚々と働き出したものだった。
よもや難病でリタイアするなんて、思いもよらなかった。その後資格をとって個人事業主を目指すようになったのは、弱った身体で組織のなかで働くことは,大きなハンデとなると考えたからだ。個人事務所なら、自分のペースで働けると思い、実際それが可能な事務所で働いた。若い頃の見通しは、いったい何だったのだろう?
この先、自分が事務所のトップとしてやっていくためには、自らがリーダーシップをとって動かざる得ない。リーダーとしての力量不足をどう補い、また伸ばしていくかが現在の私の悩みどころ。だからこそ、理想のリーダー像には興味がある。
そんな私にとって、評価に迷わざる得ないのが足利尊氏だ。足利幕府の開設者であり、関東の武士の棟梁として、その力量は間違いない。にもかかわらず、私としてはあまり高い評価をしずらい人物でもある。
いったい、この人どの程度の意思をもって、リーダーを務めたのだろう。単なる飾り物ではない事は分かっている。多くの戦いに勝ち抜き、敵を唐オ、政治折衝を重ね、権力の維持のため身内すら殺す非情さをもった指導者なのだ。それなのに、なぜか指導者としての強い意志を感じないから不思議。
なんとなくだが、尊氏は担ぎ上げられた人との印象が拭い切れない。おそらくは人望のある人だったのだろう。ただ、周囲から突き動かされ、なんとはなしに動いた観がある。主体性を感じにくい人物なのだ。
吉川英治の大ファンである私だが、この太平記に関しては、妙に印象が曖昧だ。逆賊として卑下されていた尊氏の再評価という点では、高く評価している。曖昧さという点では、きわめて日本的なリーダーだったのだと思うが、尊氏個人として、何を目指し、何を求め、何を得たのか。もっと様々な視点から、尊氏は研究する必要があると考えています。
はっきりと断言は出来ないが、それは父親のせいだと思う。幼い頃、離別した父は、仕事第一の会社人間だったと聞かされていた。それが母と離別した理由だと思い込んでいた。母の気持ちはいざ知らず、私は父のように仕事に賭ける会社員になりたいと思うようになっていた。
十代半ばの頃から、私は自分自身の資質を、大きな機械のなかの優秀な歯車たらんと見定めていた。自分がリーダータイプでないことは自覚していたが、組織のなかの優秀な構成員としてなら、それなりの価値があるだろうと考えていた。
リーダーとしては力量不足であったが、リーダーの下で采配を振るう力量なら、そこそこ自信があった。物事を的確に見定め、公平に配分し、効率的に動かすことなら、私にも出来ると思っていた。
だからこそ、就職は大企業。それも老舗ではなく、新興企業こそ実力が発揮できるはずと見込んで就職活動をした。目論見とおり就職して働きだした。営業志望だったのに、なぜかSEに配属されたのが不満だった。研修中の休日に、一人勝手に営業をして、ある全国チェーンの登山具店と代理店の仮契約の話をとってきた。それをたてに営業に配置換えしてもらった。人事からは睨まれたが、営業本部長が気に入ってくれた。人事との兼ね合いから、一度は地方支店に飛ばされたが、来年は本部で鍛えてやると口約束を貰い、意気揚々と働き出したものだった。
よもや難病でリタイアするなんて、思いもよらなかった。その後資格をとって個人事業主を目指すようになったのは、弱った身体で組織のなかで働くことは,大きなハンデとなると考えたからだ。個人事務所なら、自分のペースで働けると思い、実際それが可能な事務所で働いた。若い頃の見通しは、いったい何だったのだろう?
この先、自分が事務所のトップとしてやっていくためには、自らがリーダーシップをとって動かざる得ない。リーダーとしての力量不足をどう補い、また伸ばしていくかが現在の私の悩みどころ。だからこそ、理想のリーダー像には興味がある。
そんな私にとって、評価に迷わざる得ないのが足利尊氏だ。足利幕府の開設者であり、関東の武士の棟梁として、その力量は間違いない。にもかかわらず、私としてはあまり高い評価をしずらい人物でもある。
いったい、この人どの程度の意思をもって、リーダーを務めたのだろう。単なる飾り物ではない事は分かっている。多くの戦いに勝ち抜き、敵を唐オ、政治折衝を重ね、権力の維持のため身内すら殺す非情さをもった指導者なのだ。それなのに、なぜか指導者としての強い意志を感じないから不思議。
なんとなくだが、尊氏は担ぎ上げられた人との印象が拭い切れない。おそらくは人望のある人だったのだろう。ただ、周囲から突き動かされ、なんとはなしに動いた観がある。主体性を感じにくい人物なのだ。
吉川英治の大ファンである私だが、この太平記に関しては、妙に印象が曖昧だ。逆賊として卑下されていた尊氏の再評価という点では、高く評価している。曖昧さという点では、きわめて日本的なリーダーだったのだと思うが、尊氏個人として、何を目指し、何を求め、何を得たのか。もっと様々な視点から、尊氏は研究する必要があると考えています。