ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「グランドジョラス北壁」 小西政継

2008-04-15 16:32:29 | 
理想的なリーダーとは、いかにあるべきか。

学生の頃、リーダー講習なるものを代々木の旧・オリンピック選手村で受けたことがある。日赤の救急医療講習や、ベテラン登山家のレクチャーなど多彩な講義内容であった。

そのなかで、理想的なリーダーとはいかにあるべきかを議論する時間があった。同年代の参加者の半数近くが、理想的なリーダーとして、相談役や信頼できる兄のようなといった親しみを感じさせるリーダー像を挙げたのには驚いた。いや、呆れた。

登山におけるリーダーは絶対的権限を持つ、パーティ全体の最高責任者でもある。メンバーの命を預かる重責を担う立場であるからこそ、その権威は絶対的なものとなる。

そりゃあ理想として、親しみやすさや、信頼感は大事だと思う。でもリーダーの資質としては二義的なものだ。むしろ、メンバーから嫌われても、パーティとして必要なことを命じる責務を持つ。好かれることを第一義にするのは間違いだ。

極論すれば、リーダーはメンバーに対して「お前、パーティのために死んでくれ」とまで言わねばならぬ立場だ。嫌われようと、厭われようと、やれねばならぬ必要な事は必ずある。それをやらねばならぬのがリーダーの義務だ。

だからといって、ただ闇雲に権限を振るうだけではメンバーは付いて来ない。リーダーの権威は、ある意味砂場の楼閣に似ていて、積み上げる努力を怠ると、あっという間に崩壊する。やはり信頼感は重要なものとなる。

では、その信頼を勝ち得るには、如何にしたら良いか。私がその一つの答えだと考えていたのが、60年代から70年代にかけて日本の山岳界をリードした山岳同志会のリーダー、小西政継だ。

先鋭的で苛烈な山岳同志会にあっても、突出したリーダーであったと思う。高き理想を掲げ、その実現のための努力を怠らぬ現実感覚の持ち主だった。無理だと嘆くメンバーを叱咤激励する一方、情報を集め、可能性を追求することを止めない。多額の資金の拠出を頼むため、各界のスポンサーを説得するため頭を下げてまわることも厭わない。

アルピニズムの本場、ヨーロッパにあっても長く難攻不落であったグランドジョラス北壁の厳冬期初登攀を目指した遠征登山(結果的には第3登、ウォーカー稜初登攀)を、リーダー小西自らが筆を執って書いたのが表題の本だ。その記録は凄まじい。ドイツ、フランス、イタリアなどの屈強なクライマー達の挑戦を跳ね除けてきた難壁であり、当初からその成功は危ぶまれていた。しかも予想外の悪天候に見舞われながらも、一人の死者も出さずに成功した。

この登攀には、若き日の植村直巳がゲスト参加している。日本山岳界屈指のクライマー植村は、このグランドジョラスでの小西のリーダーシップに驚きを隠さない。一日の登攀を追え、メンバー全員疲労困憊の状況で、メンバーに熱い飲み物を配ってまわる気配り。誰もが怖気ずく冷酷な強風のなかに一番に飛び出し、最も困難な局面で先陣を切る強靭な精神力。

遭難状態で意気喪心するメンバーを叱咤激励し、それが口先だけでないことを自らの行動で示す。この人についていけば、必ず生きて帰れると、メンバーに思わせるリーダー。それが小西政継だった。

無事下山したものの、ほとんどのメンバーが凍傷により指を失っている。一番酷い凍傷を負ったのは、常に最前線で活躍した小西であった。足の指全てと、両手の指の多くを凍傷で失っている。

一番被害が少なかったのは、ゲスト参加の植村だった。後日講演会で植村自身が述べていた。あの小西さんがリーダーであったからこそ、あの偉業は達成できたと。自分には、あのようなリーダーは無理だから、今後は単独登山を目指すつもりだと。

私は日本最強のクライマーの一人であった植村氏が単独登山を志向していたのは、彼の個人的資質によるものだと思っていたが、最強のリーダー小西政継の影響があったのかと驚いた。

もう私が山に登ることはないでしょうが、あるべきリーダーの理想像として、小西政継の名前は深く刻まれています。なお、残念ながら、小西氏は90年代にマナスル登頂後、消息不明となりました。稀有な人材を喪失したことを残念に思います。
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「コブラ」 寺沢武一

2008-04-14 10:59:15 | 
自分のかたちを持っている人は強いと思う。

喧嘩でも、外交交渉でも、あるいは営業の商談でもいいが、勝つために大切なのは、相手のペースに乗らず、自分のペースでやることだ。

良く言われることでもあるが、実際のところ、これを実践するのは難しい。なにより、自分自身をよく理解して、自らのやり方に断固たる確信を持つ必要がある。これが押しの強さにつながる。

最初は抵抗にぶつかるが、それを乗り切れば、ほぼ自分のペースで進められる。やがて成功の実績が、確固たる自信となり、さらに確信を強める。ただ、方向性を誤ると、その後の方向修正が難しくなる。

表題の作者もそうだったと思う。一瞥しただけで分る個性的な絵柄。アメリカン・コミックの影響を強く受けたと思われる絵柄は、未だ追随者を許さぬ個性を確立している。日本では、アメコミ風の画風は従来受けがよくなく、タブーに近かったことを思えば、ある意味革新的だった。

なによりも主人公である海賊コブラのキャラクターが立っていた。フランスの映画俳優であるジャン・ポール・ベルモンドをモデルにしたかのようなコブラは、強さとユーモラスさを兼ね備えた魅力的な主人公だった。その強さとは裏腹に、心の奥底に悩みをかかえ、それを軽薄なふるまいで押し隠すそぶりも好評だった。

ただ、あまりに完成したキャラクターであったため、そのイメージが逆に作者の創作活動を縛ってしまった。表題の作は、SF漫画としては、成功の部類に入るが、その後が苦しかった。

ゴクウやバットといった類似の作品を幾つも発表したが、どれもヒットには程遠かった。完成されたスタイルは、むしろまんねりに陥ってしまった。

初期の段階から、CGを積極的に採用したことが、結果的に足を引っ張ったと思う。当時のPCの能力では、なかなか思い通りに絵が描けず、創作よりもPC操作に時間がとられた。

CGという技術に引き摺られ、かえって漫画そのものの魅力を低下させてしまった。とても残念に想う。今も漫画を描いている現役だが、少しマニアックに過ぎる。もう一度、原点に帰って、面白い漫画を描いて欲しいと願っている。
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「痴人の愛」 谷崎潤一郎

2008-04-11 07:10:04 | 
真面目なやつがおかしくなると、とことんおかしくなる。

子供の頃からプラモデルを作るのは、けっこう好きだった。中学のはじめくらいまでは、数人のプラモ仲間と集まり、作ったものを見せ合ったり、プラモ専門店をまわったりして遊んでいた。

そのプラモ仲間にTがいた。真面目な奴だった。趣味が同じでなければ、まず付き合うことはなかったと思う。規則とは、破られるためにあると公言していた私に、真剣に説教してくる奴だった。まあ、悪いやつじゃないので、適当にいなしていたが、真面目すぎて苦手な奴でもあった。

プラモデル造りもやらなくなり、別々の高校に通うようになると疎遠になったが、なんと大学で再会した。相変わらず真面目そうだった。いや、最初だけは・・・

私が4年間を過ごした大学は、いわゆるお坊ちゃんお嬢ちゃんの通う大学で、実に華やかな雰囲気が特徴だった。私なんぞ、違和感を感じて、居心地が悪かったくらいだ。幸いにも旧制高校の流れを汲むせいか、運動部は昔風のバンカラな気風があり、私はすぐにWV部に入部して、体育会の野蛮な雰囲気に馴染んでいた。

入学して夏休みが過ぎて、Tにキャンパスで逢ってビックリ。7:3分けの髪型は、さわやかなテニス青年風に変わり、緑のワニが目立つポロシャツもかろやかに、日焼けした軟派な遊び人に変貌していた。

聞けば、女の家を渡り歩き、まともに家に帰ってないらしい。あのクソ真面目なTがねえ~と私は、その変貌振りに呆れたが、ちと不安にも思った。変貌が激しすぎる観があったからだ。

案の定、試験はボロボロ。出席日数は足らず、当然に留年した。大学デビューの遊び人は、遊びに免疫がないから、はまるととことん堕落する。その翌年も留年したと噂を耳にした。まともに大学に来てないのだから、当然だと思う。性質の悪い女に捉まったとの噂は本当らしい。

さすがに学年が2年離れると、噂もなかなか伝わってこないが、進級後はどうやら憑き物が落ちたように、大人しくなったらしい。卒業間際に少し話をしたが、Tはうつむきながら、「少し遅れるが、きっと卒業するからさ・・・」と呟いた。

私が「あの女とは、どうなった?」と尋ねると、Tはすねるように横を向き「わからねえ。別れられなくってさ」と言い、急に私の顔をみつめると、「女は怖いゾ」と言って席を立った。その後のTを、私は知らない。

正直言えば、私はTを少し羨ましく思っていた。私はそこまで女に入れ込んだことはない。周囲からどう思われようと、本能に突き動かされる姿は、私が知らない愛の形の一つなのだろう。ただ、谷崎が描く様なナオミはけっこう。破滅型はごめんこうむりたい。

いや、毒食わば皿までという。どうせ滅びるなら派手なのもいいかも。私には似合わないと思うけどね。
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報道の中立公正さ

2008-04-10 17:34:56 | 社会・政治・一般
先週、朝日新聞を読んでいたら、またしても興味深い記事があった。

現在、NHKにおいて「国際報道における国益追求」の是非が問題になっているという。公共放送の役割を鑑みながらも、更なる国益追求を求める委員と、報道の中立公正をたてに反対する委員との両者の意見を載せていた。

もちろん、朝日の立場は後者の擁護であることが分る紙面作りであった。

まだ、信じているのか、報道の中立公正なんて虚像を。

誰にだって、立場というものがある。人は一人で生きているわけではない。いろんな人に助けられ、今の立場を得ている。それは報道とて同じこと。その立場が中立で公正であるはずがない。必ずある程度の偏りが生じるのは必然といっていい。

理想論としての報道の中立公正は分る。しかし、現実には不可能だし、これまでだって実現したことはない。

朝日新聞にしたって、反核運動の盛り上がりは積極的に報じるが、核兵器による戦争抑止を信じる人たちのことは、意図的に無視した報道をしてきた。武力による均衡平和は確実に存在するが、それを認識することを拒否した紙面作りをしてきたことが、中立で公正だと言えるのか。

NHKは公共放送だが、その内容は必ずしも中立公正とは言いがたい。荒川静香選手が金メダルを掲げる場面は報じても、日の丸を掲げてリンクを滑走する場面はカットする。反論の機会を与えぬリンチを裁判と称した悪質な行為をゴールデンタイムに報じるような偏った報道をしてきたのが実情だろう。

ましてや、国際報道の世界は国益の立場にたった、偏った報道が垂れ流されているのが現実だろう。先のチベット騒乱を報じた欧米の報道と、中国の新華社の報道を比べてみればいい。どちらも国益を配慮した報道であり、中立とか公正なんざ視座に入っていないことは自明だと思う。

偏った報道をしておきながら、中立公正を装う姿勢こそ、自覚無き悪質なものだと断言したい。
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竹内まりや「駅」を聴いて思うこと

2008-04-09 09:21:11 | 日記
当たり前のことだが、年齢を重ねれば外見も変わる。

私自身、十代の頃に比べ体重は3割ましで、髪は半減、体力激減と大きく変貌したと思う。思うが、十代の頃の友人にほぼ20年ぶりで再会すると、その変貌ぶりに驚かれながらも、一発で分るらしい。

あまり外見が変わらない奴もいるが、良く観ると白髪が混じっていたり、皺が深く刻まれていることに気がつく。やはり歳月の重みは誰にでも降り積もるものなのだろう。

中学を卒業したらすぐに働くつもりだった私は、父の帰国と支援により、人並みに大学まで出させてもらい、浮き沈みあれどそれなりの社会的地位も得ることが出来た。まだまだ未熟だと思うが、ようやく人生の先行きを予想できる程度には安定してきた。

過去を悔いるのは好きではないが、それでも幼馴染みたちと疎遠になったことだけは、いまでも少し悔いている。進学の決意が、裏切りと思われるなんて、想像すらしていなかっただけに、あの悪ガキ仲間と離別してしまったことは、致し方ない事と諦念している。

ただ、その過程でいささか人間不信に陥り、普通のクラスメイトたちとも疎遠になったことは自らの過失だと自覚している。必要以上に臆病になったのだと、今なら分るが当時はそんな余裕もなく、自分のことしか見えなかった。

何故、話さなかったのだろう。何故、尋ねなかったのだろう。知らぬまま、分らぬままになり、時間と距離がますます断絶を深めた。その断絶に薄暗い安堵感を得ていた卑怯さが、今更ながら自己嫌悪を深める。

特にあの娘には訊きたかった。何故、髪を切ったのか、それはあれが原因なのか、を。尋ねる機会はあった。それなのに、たわいない世間話をして誤魔化した自分の怯惰さが、今も許せない。

さすがに30年以上もたつと、尋ねても答えてはくれないことぐらいは、なんとなく分る。だから、もし街で再会しても、訊く事はあるまい。いや、再会すら避けられるかもしれない。

先週半ば、NHKで放送されていた番組SONGSは、竹内まりやの特集だった。初回が彼女だったそうだが、視聴者からのリクエストNo1が「駅」だそうだ。

いい歌だと思う。私も好きな歌だ。好きな歌だが、聴くたびに心をかき乱される。もし、駅で見かけたら、私はどうするだろう。隣の車両に乗り、遠くから見つめるだけに留めるか。多分、それが一番賢いのだと思う。そうすると思う。

でも、突然目の前に現われたらどうしよう。あの時もそうだったしな。

どうも、春はいけない。不思議なくらい情緒不安定になる。熱いジャスミンティーでも飲みながら、好きな本でも再読しますかね。
コメント (2)
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