ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

けっこう仮面 永井豪

2011-09-22 11:22:00 | 

本能には勝てない。

日本では長いこと映画やTV雑誌や写真のおいて、性器の露出はもちろん、陰毛さえ禁じられていた。私は子供のころから、この制限を馬鹿げたものだと確信していた。

文明人として、性器や性交といったものを隠すことには反対しない。生物の根幹に関ることではあるが、身体や心の成長と成熟に従って知るべきことであり、大人が子供の目から隠すのは生得の智恵だとも思っている。

だが、写真にベタ塗りしたり、フィルムに加工したりするやり方はおかしいと思っていた。制限をかけるなら、販売時の年齢確認を厳格にしたり、入場規制をすればいい。写真や映画そのものに制約をかけるのは、件pに対する侮辱だと思っていた。もっといえば無粋に過ぎる。

なかでも愚かしいと思うのは、性器や陰毛を消せば、淫らな気持ちが起こるのを抑制できると決め付けることだ。バカじゃないかと思う。

露骨に性器を見せ付けられるより、上手に隠されたほうが淫靡であることは少なくない。裸体そのものよりも、仕種や声音、服装のほうが欲情を掻き立てることだって多い。

数年前だが、TVでモーニング娘というアイドルグループに加入した後藤マキとかいう子の色っぽさに驚いた。ダンスの時の手のなまめかしさ、指先の扇情的な動きに見惚れてしまった。

一緒に観ていた大学時代の友人ともども、この娘っ子、なんでこんなに色っぽいのかと盛り上がっていたら、同席していたA嬢から「あんたたち、スケベなオジサンだねぇ」と呆れられた。

そんなこと言ったて、実際色っぽかった。下手なアダルトビデオなんぞよりも、はるかに煽情的だった。ちなみに服装はとりたて色っぽくは無い。あくまでダンスの仕種だけで、あれだけオジサンたちを煽るのだから、たいしたものだ。

性器や陰毛を隠せば、過剰な性的煽情を抑えられると考える安直な官僚的思考が、如何に愚かだか良く分る。私は子供に対して、過剰に性的煽情を抑えたがる大人の事情自体は理解できるが、日本の規制の仕方はあまりに安易過ぎると思う。

日本で子供向け漫画で、スケベな漫画を描き続けてきたのが、表題の作者である永井豪だ。「ハレンチ学園」に始まるHな漫画が子供たちに大人気であったのは確かだ。

そして、PTAをはじめとして健全な青少年育成を願う大人たちから、目の敵にされてきた漫画家の筆頭であるのも確かだ。

だが、永井豪の漫画を子供の時から読み続けてきた私からすると、大人たちの反応はバカらしいの一言に尽きる。そりゃあ、たしかに永井豪の漫画にはHな場面が多く描かれてきた。

でも、その漫画を読んで不健全に性的煽情を受けた子供なんて、私は知らない。どちらかといえば、むしろ馬鹿笑いできるほどのギャグ漫画だと思っていた。

なかでも表題の作品は、ある意味実に辛辣だったとさえ思う。男の本能の強さをこれほど利用した正義のヒロインが他にいようか。男だったら、絶対に目を奪われるぞ。ありゃ、反則攻撃だ!

スケベな漫画だとは思うし、これ読んで馬鹿笑いしていた読者でもあったが、この漫画で過剰に煽情されたことはない。むしろ、男ってバカだよなァとため息ついてしまったぐらいだ。

ちなみに、今でも私はこのバカさ加減が抜けきっていない。だから、久々に再読して、あい変わらすバカ笑いしてしまいました。

やっぱり本能には勝てませんよ。

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今こそ天命思想

2011-09-21 13:01:00 | 社会・政治・一般
私は運命論者ではない。

それでも、運とか時代の流れ、節目といった人の力の及ばぬところでの動きが、人の世になんらかの影響を与えていることは、漠然と自覚している。

これは、歴史を知れば知るほど、そう思わざる得ないからだ。たとえば400年ほど前、地球を襲った小氷河期により、北半球の平均気温は低下した。

これは農業生産に多大な影響を及ぼした。食糧供給は逼迫し、世界各地で飢饉がおこり、混乱が相次いだ。ヨーロッパでは100年戦争をはじめとして戦乱が断続的に起こり、既成の価値観(中世キリスト教)に対する叛乱が起こり、それはやがて近代国家への変貌につながる。

日本では、戦国時代がこの寒冷化の最盛期で、この時代に地方の領主たちは中央の指令なんぞ待っておらず、自分の判断で領土の繁栄を目指したものが、戦国大名として名を挙げる。

おかしなことに、このような飢餓の時代に、かえって人口は増加している。おそらくは、種としての生存本能が多産を促すのだろうが、厳しい時代にあって、さらに飢餓を増やすような人口増大の状況に対応できた国こそが、生き残って新たな国家として再生する。

これはシナの大陸でも同様で、大きな天災時には、新たな政権が生まれている。古来、シナでは天命思想とか易姓革命とかいって、不徳の王が統治する国には、天が天変地異を引き起こして、政権交代を促すとされている。

これはまったく故なきことではなく、大きな天災に際して、最適と思える治世をしたものが新たな統治者として君臨していた事実に根ざす思想だと思える。そして、それに失敗したものは歴史の流れから消えうせる。

今年の3月の東日本大震災では地震と津波。さらに原発事故とその風評被害。そして9月に入ると大型台風の襲来と、最大規模の被災の発生である。これに円高(人災でもあるが)を加えると、今年の日本は本当に災難続きとしか言いようが無い。

あたしゃ、あんまりクダラナイことは言いたくないが、この惨状をみていると、天が暗に政権交代を求めているように思えてならない。

駄目・菅政権が無為無策であったのはご承知のとおりだが、次の野田政権とて似たり寄ったりの可能性は高い。この戦後、最大クラスの災害が相次ぐ中、マニフェストがどうだこうだ、なんて国民は求めていない。

国民の声が聞こえない政権なんざ、民主主義国に相応しくないのは当然だ。はっきり言えば、天は民主党政権を見限った。もはや政権交代しかない。

一応、言っておくと民主党政権には長期政権を確立するチャンスはあった。東日本大震災で国民を納得させられる対応が出来たなら、それは決して夢ではなかった。しかし、出来なかった。

今回の台風襲来に関しても、驚くほど無為無策でチャンスを潰した。新・内閣になった直後であり、危機に有能な政権をアピールする絶好の機会でもあったはずだ。

しかし、なにもしなかった。国内流通の大動脈である中央高速や東名高速が大雨で長時間ストップした時、野田政権はなにをしていた。和歌山や三重で数十人が亡くなる災害直後、野田政権の閣僚の一人でも現地に赴いたのか。

民主党政権が、国民の生活に無関心なのが良く分る。ノーサイドだが何だか知らないが、自分たちの権力基盤を固めることにしか興味がないらしい。

今年は戦後最大級の災害が相次ぐ年になりそうだが、この時にあって誰が何をしていたのか、よくよく注視しておく必要があると思う。

願わくば、この危機に対して未来への展望をみせてくれる政治家が登場することを。かすかな希望だとは分っているが、それでも望まずにはいられない。

賢者の知恵、勇者の武勇、農民の勤勉さ、商人の実直さ、すべて揃えど、それを統べる政治なくして国家の安寧なし。そして、政治に対する無関心こそが、政治を堕落させることを、よくよく銘記して欲しいものです。
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百器徒然袋~雨 京極夏彦

2011-09-18 12:51:00 | 

推理をしないどころではない。

捜査もしなければ、訊き込みもしない。それどころか、顧客である依頼者の話しさえ満足に聴いていない。それでも事件を解決する名探偵。

生活に困らぬ財閥の御曹司であり、日本人離れした美男子であり、行動力抜群の快男児でもある。しかしながら推理もしないし、捜査もしない。

名探偵・榎木津礼二郎には、答えはあっても途中経過はない。解答はあっても、理由は分らない。でも、事件は解決する、それがどんな迷宮入りの事件であったとしてもだ。

ミステリーを数多読んできた私だが、こんな名探偵みたことない。常識的に考えれば、迷探偵なのだろうが、いかな難事件でも快刀乱麻の活躍で解決する名探偵であるのも確かだ。

京極堂という希代の陰陽師を現代に甦らせた京極夏彦が生み出した、奇妙奇天烈な名探偵・榎木津礼二郎。その活躍を知りたければ、本書を読むしかない。

ただし、名探偵・榎木津を知るには本書は唐突すぎる。京極堂の作品を最低1冊は読まないと、訳が分らないことになる。

種を明かせば、この名探偵、他人の記憶が見える。ただ見えるだけなのだが、本人しか知らない秘密も見てしまえる超能力探偵なのだ。見えるだけなので、動機も背景も分らない。ただ、答えだけが分る。だから途中経過が抜け落ちて、最後の答えだけが分る。

「この世に不思議なことなんてない」と断言する京極堂が、唯一答えに窮する人物でもある。やたらと理屈っぽい京極堂に飽きたら、この名探偵の活躍に呆けるもいいだろう。

ただし、作者は京極夏彦である。したがって、長い、分厚い、重いの三重苦に加えて、最後まで読まねば顛末が分らない。おかげで私の手首は痛い。重すぎるんですよ、本が。

これさえなければ、もっと多くの人に読んで、楽しんでもらいたい作品なんですけどね。


 追記 本来、週明けの火曜日に更新予定でしたが、当日出張のため本日更新した次第。

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はじめての銭湯

2011-09-16 12:44:00 | 日記
早く文明のなかに戻りたかった。

大学一年の夏は、北海道は大雪山系への長期合宿であった。ちなみに大雪山という名の山はない。旭岳や黒岳、トムラウシ山などの連峰を総称して「大雪山」と呼ばれているだけだ。

二つのパーティーに分かれて、交差する形で広大な大雪山系を2週間にわたり踏破した。私のパーティーは、石狩岳から西進して、トムラウシに抜けて、旭岳へと至るルートであった。

今でも忘れられないが、人造湖である糠平湖の駅で電車は止まったが、ホームがなかった。電車から飛び降りる形で下車したのは、生まれて初めての経験だった。

その後、予め呼び寄せてあったタクシーに分乗して、林道を走りキャンプ地に着く。もはや周囲は原生林であり、ここから先は、山道と標識にしか文明の痕跡は見当たらない。

事実、翌日急な山道を登りつめ、石狩岳の山頂からの広大な展望には、登山小屋一つ見当たらす、原生林が広がるばかり。人間の生活の痕跡が無い風景が、これほど荒涼としたものだとは思わなかった。

それから一週間後、トムラウシに向かう途中で、避難小屋を見つけた時は、やっと人間の文明の一端に触れた気がして、もの凄く安堵したことを覚えている。

なにせ、ここ数日、親子連れ(とっても、危険!)のヒグマの生息域のど真ん中に居たので、粗末な避難小屋であっても、もの凄い安堵感を得られた。

大げさに思えるかもしれないが、朝起きてテントの入り口を開けたら、湯気を上げるヒグマの巨大な糞を発見していた私たちである。この巨大な糞は、ここは俺たちヒグマの領域だとの宣言に他ならない。これにはビビッタ。陽が高く上るまで、テントのなかで大人しくせざるえなかった。

その日は、足早に大雪の中心地域であるトムラウシ近くまで行き、そこでみた粗末な避難小屋に、文明のありがたみを感じたのは、決して大げさではなかったと思う。

その一週間後、旭岳の麓まで駆け下りて、ようやく長い合宿を終えた。乗れなかったロープウェイ駅のそばにたつ近代的な造りのホテルを見上げながら、ようやく文明世界へ戻ったのだと感慨を深くした。広い大浴場で2週間分の垢を流し、さっぱりして、ようやく文明人に戻れた。

その後、もう一つのパーティーと合流して打ち上げをやり、現地解散。私たち一年生は、札幌へ移動してOBの方が営む会社の寮に泊めていただくことになった。宿泊費が浮くので、たいへんありがたかった。

ただ、風呂は近くの銭湯を使うことになっていた。別に構わないのだが、同期の一人は妙に浮かれていた。お父上がオーナーの中小企業の社長息子である彼は、銭湯に行くのは生まれて初めてなのだ。これが浮かれずにいられようか。

銭湯なんぞ、子供の頃から通い慣れている私は、なに浮かれていやがるとチャチャを入れたが、当人は聞く耳持たずで、早く行こうと皆をせかす。

歩いて5分くらいのところに、その銭湯はあり、初めて入る彼は番台に感激している始末である。番台に上がるならまだしも、たかが番台でなにを騒いでいるのかと呆れた。

彼は素早く着替えると、洗い場にむかっていそいそと小走りだ。おい、滑るぞと言いかけた直後、ドンと衝撃音が響いた。

そこにはガラス戸にぶつかって、おでこを抑えてうずくまる彼の姿があった。一言フォローしておくと、彼は私同様、かなりの近眼であり、日頃はメガネを手放せない。もちろん、入浴時にはメガネははずしていた。

呆れるのもそこそこに、おい大丈夫かと声をかけると、むくっと立ち上がり、無言で洗い場に入っていった。さすがに恥ずかしかったらしい。

その様子がおかしかったので、おい、山のなかじゃないのだから、扉は当然にあるぞとからかった。当人は「まだ、大雪の山のなかにいる感覚が抜けない・・・」などと妙な言い訳をしていたのがおかしい。

なにわともあれ、初めての銭湯を満喫した彼は、入浴後着替えの場でジュースを飲み干しながら一言「腹減ったから、あとで夜食食べにいこうぜ」。

つい2時間前に腹いっぱい食べたはずなんだが・・・どうやら胃袋は野生化したままなようだ。
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手当不足

2011-09-15 13:40:00 | 経済・金融・税制
毎年のことだが、夏場は我々税理士業界にとっては、勉強と研修の時期でもある。

今年は例年になく税制改正が遅れたので、いささか消化不良の感が否めない。いささか専門的に過ぎるので、その内容をここで紹介することは割愛させていただく。

ただ、来年の確定申告にむけていろいろ検討していたら、困った事態に遭遇した。いわゆる、売電による所得計算がそれだ。

今日、太陽光パネルを中心に自宅で発電して、電力を自前で一部賄うことは珍しくなくなった。そして、余剰電力を電力会社に買い取ってもらうことも散見するようになった。

この余剰電力の売却は、所得税法では立派な課税所得となる。こまかいことは省くが、おおむね雑所得となるはずだ。つまり売却収入マイナス必要経費が雑所得となって、給与や不動産所得などと合算されて、課税所得が算出される。

では、電力売却に伴う必要経費とはなにか。多分、ほとんど経費は生じない。あるのは太陽光パネルの設置費用を資産として計上し、それを耐用年数で按分した減価償却費だけだと思われる。

ところがだ、太陽光パネルで発電した電気の大半は、家庭で費消される。これは自分で使っているわけだから、減価償却費のうち、大半は自宅分となる。これを家事費といい、必要経費とされない。

自宅使用分と売却電力の割合は、月により異なるはずだ。毎月の割合を単純平均して、減価償却費を家事費と、必要経費に分ける方法が考えられるが、試算していて嫌になってきた。

まず、売却電力自体がきわめて小額だ。そこから必要経費を除くと赤字になるケースが多いように思われる。仮に所得が出ても、たいした金額にはなりそうもない。

一方、その計算は難しくはないが、煩雑であることは確かだ。しかも、その手間に相当するだけの価値があるとは思えない。はっきり言って、やっててバカらしくなってきた。実際、やってみると、どう控えめに見積もっても30分以上かかるぞ。しかも、資料が揃っているとの前提でだ。(普通は揃っていない)

想像でしかないが、おそらく余剰電力の売却収入が年間20万円を越す人なんて、滅多にいないと思う。必要経費を引けば、赤字となるケースも多いだろう。

困ったことに、雑所得の赤字は他の所得と通算されない。つまり課税されるだけ。しかも、きわめて小額の課税だと思う。このために、時間をかけて所得を計算するなんて真っ平だ。

多分、税務署の職員だって同じ思いをすると思う。

実は解決策はある。予め家庭用発電による余剰電力の売却所得については、非課税としてしまうこと。これが一番簡単だ。つまり現行の家庭用動産と同じ扱いとし、所得は非課税、損失はなかったものとみなしてしまう。

もし、余剰電力の強制買取を実施するのなら、ここまで手当てしておいて欲しい。

だが、今のところ何の手当てもされていない。来年の3月になって現場の税務署職員からの不満が上に伝わり、それからでないと政府は動くまい。

分っているのに何もやらない。これがバカといわずして何と呼ぼうか。
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