ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

こちら葛飾区亀有公園前派出所 秋本治

2011-09-14 19:11:00 | 

多分、私のほうがズレているのだろう。

今や国民的漫画となった感のある表題の漫画だが、私はほとんど読んでいない。始まったのは、私が小学生の5,6年の頃だと記憶している。

ちなみに当時は今の「秋本治」ではなく「山止たつひこ」の名前で描いていた。もちろん、当時大人気だった「がきデカ」の山上氏のもじりだ。

漫画ならなんでも良かったあの頃でさえ、流し読みだったと思う。つまらないとは思わなかったが、面白いと熱中できるだけのものがなかったように思えたからだ。

今だから分るが、中途半端なのだ。もちろん、あの両津巡査のような警官が、現実にはいないことは分る。分るが、飛躍がちまちましていて、無難にギャグをしている感が嫌だった。

さりとて、リアルな警官とは、程遠いゆえに現実感に乏しかった。もっとも、この漫画が好きな人は、そんなことを気にせずに、ちょっと現実離れした両さんを楽しんでいることは分る。

なにを楽しもうと自由だと思うし、別に弊害があるわけでもないので、それを妨げる気もない。

それでも、この漫画が好きになれないと公言してしまうのは、本質的に私が警官嫌いだからだろう。

幼い頃から問題を起こし、しばしば補導されていた私にとって、警官とは狭すぎる正義感の塊りなのだ。奴らが善意から社会的正義の実現を目指していることぐらいは、幼い私だって分っていた。

分ってはいたが、奴らの「この世には、犯罪を犯した人間と、これから犯罪を犯すかもしれない人間の二種類しかいない」と信じきっている傲慢さが嫌いだった。

補導された私を、はなっから疑いの眼差しで見つめるのが実に不愉快であった。嫌われたり、憎まれるならともかく、根拠もなしに疑念の目で蔑視するのだけは、断じて許せない。

おかげで、この週刊少年ジャンプ誌上、最長連載記録を誇るこの漫画は、どうしても楽しめない。ただ、面白いのは間違いないようだ。在日年数は長いが、漫画は読まない外国人の母子が、この作品の映画化されたものを観て、面白かったと感心していた。

「センセー、なんで観ない?」と訊かれたので、警官は嫌いだと答えたら「警察と喧嘩するの、よくない」と説教された。余計なお世話だい!

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思いつき発言の軽さ

2011-09-13 14:17:00 | 社会・政治・一般
立場を考えて発言して欲しい。

福島原発事故以来、自然エネルギーを求める声が高まっているのは事実だ。なかでも太陽光発電は、大きく注目されている。

そんな折、ソフトバンクの孫社長が、放棄された農地に太陽光パネルを設置しての太陽光発電を提唱した。さすがに機を見るのに敏感な商人らしい発想だ。

すると、大阪の橋下知事をはじめとして幾人もの地方自治体の首長たちが、これに賛同して是非我が県、わが町でやって欲しいと手を上げた。

たしかに農耕を放棄された農地は、増える一方だ。昨年末で埼玉県の面積に等しい農地が、耕作を放棄されて荒地となっている。元々、農地は日当たりのいい場所にある。だから、太陽光パネル設置による発電事業地として活用するには、相応しいように思える。

だが、ちょっと待て。農地の実情を分っているのか。

農地の場合、固定資産税が大幅に安くなるようになっている。もし宅地並み課税をされれば、年間数十万かかる場合でも、農地なら数千円で住む。

もし、耕作放棄地(それでも一応農地扱いされる)に太陽光パネルを設置して、その電気を電力会社に売れば、それは立派な課税所得となる。この場合、もはや農地とは扱われず、雑種地とされ宅地並み課税がされてしまう。

すぐに分ると思うが、ほとんどの場合、この電力売却事業は赤字となる。今の電力相場からいえば、どうやったって固定資産税相当額を稼ぐのは不可能だ。つまり、農地所有者としては、そのまま耕作放棄地としているほうがいい。

いくら強制買取にしたって、その価格がコスト(固定資産税)に見合わなければ、誰がやろうか。またコストに見合う金額に、電力の買取価格を引き上げれば、それは一般の電気料金に上乗せされる。

このあたりの事情が分っての発言なのか、私は大いに疑問だ。孫社長にせよ、目立ちたがり屋の知事どもにせよ、事情が分っての発言とは思えない。その発言を裏付けもとらずに垂れ流すマスコミもそうだが、もう少し立場を弁えて発言して欲しいものだ。
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超老伝 カポエラをする人 中島らも

2011-09-12 01:02:00 | 

仕事柄、税務署という官庁と言い争うことが多い。

税務署というのは、税金という国家に欠くべからざる必要な財源を徴収する部門だけに、決して好かれる役所ではない。だからこそだろう、そこで働く人たちは、自分たちの仕事が国家を支えているとの使命感を持っている。

それは狭い意味での正義感を育むせいか、話の分らぬ輩が多い。正義感という奴は、アルコール度数の高い純米酒みたいなもので、飲みすぎると強く酩酊する。

そして翌日になると、激しい頭痛を伴う二日酔いに悩まされるが、それでも酒を飲むことを止められない。酔わねば、やってられないのかと邪推したくなるほどだ。しかし、当人たちは、正義感に酔いしれているので、自分を疑うことをしない。

おかしなもので、酒を止めた時、すなわち官庁を退職すると、そこで初めて酩酊することの愚かさを自覚する。いや、現職時代も気がついていたのだろうが、それは胸に深く秘めて、退職するその日まで仕舞いこんで置くらしい。

だから、退職したOB官僚と親しくなると、思わぬ本音を聞かされることがあり、時として唖然としてしまうことがある。

なかでも忘れ難いのが、「仕事の出来ない奴ほど、法令や通達にしがみつく」との一言だ。まったくもって同感である。

完璧ならざる人間が作成した法令や通達が完璧なわけがない。常にたゆまぬ変化を続ける社会に対して、法令は必然的に時代遅れ、現実離れしたものとならざるえない。

だからこそ、行政は法令を適切に解釈して、世の中を円滑に回していかねばならない。ところが、法令が作られた背景、通達が出された経緯を無視して、字面だけを捉えて四面四画の判断に逃げる役人は少なくない。

物事の本質を捉える苦労から逃れて、安直で卑怯な仕事をする輩であり、社会のため、人のために仕事をするのではなく、自分のためだけに仕事をする輩でもある。

誰だって変化する状況に適切に対応してくのは、たいへんな労力を要する。鬱っとおしいと感じるほどの努力が必要だし、その努力に対する見返り(昇進や昇給)は乏しい。

しかし、権限がある以上、その権限に見合う責任はある。その責任から逃れて、過去の事例にしがみつき、新しい状況の変化をないものとみなして、偽りの安堵に逃げ込む。

これは役所に限らない。会社でも、学校でも、そして家庭でも、どこにでも、この手の安直な前例固執、現実無視は生じている。決して他人事ではない。

そんな、硬直化した社会に、自ら「キ印」となりて、道化を演じて世の中に笑いと混乱をもたらすのが、表題の作品の主人公だ。

こんな作品こそ、博学にして、既成の常識の枠を微妙に飛び越える中島らも氏の独壇場であろう。単に知識があるだけの人や、偏差値が高いだけの人には書けない作品です。

ちょっとプロレスや格闘技の知識がないと、十二分には楽しめないと思うので、そこだけが残念。でも、知らなくても十分楽しめる作品だと思います。

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同窓会

2011-09-09 12:13:00 | 日記
誰が誰だか、さっぱり分らない。

8月の末に、高校の同窓会があった。卒業以来、ほぼ30年ぶりとなる。大学の頃までは、仲の良かった連中とは、連絡を取り合っていたのだが、社会人になると自然と疎遠になっていた。

5年ほど前、渋谷のパチンコ屋の前で、遊び仲間の一人と再会し、それを契機に当時の遊び仲間とは毎年忘年会や新年会などで飲むようになっていた。

髪が薄くなったり、二周り以上太ったり、外見の変化も激しいが、飲み出せばあっという間に昔の感覚が戻ってくる。相変わらずというか、バカで楽しい酒の席となる。

その仲間から、他の同窓生の噂話などは耳にしていたのだが、お互い腰が重くて、なかなか再会の場を設けることは出来なかった。

きっかけはネット上での思わぬ再会であった。見知らぬハンドルネームの方から挨拶されて、よくよく聞き出してみたら、二年生の時のクラスメイトだった。現在、アメリカ在住であり8月に一時帰国するので、その際みんなに会いたいから協力して欲しいとのこと。

私の高校時代は、この二年の時のクラスが中心だった。まだ、ぎこちなくも初々しい1年の時よりも、高校生活に慣れて、上手に遊ぶ要領をつかんだ二年の時こそ、一番楽しいものだった。

冷静に思い出すと、ちょっと異常なクラスでもあった。なにせ喫煙率は男子で9割近く、女子だって3割以上は喫煙者だった。制服がないことをいいことに、放課後は飲み屋、パチンコ屋、ディスコと遊び放題だった。

たいして金もないのに、一晩中遊んでいたことも珍しくなかった。もっとも、クラスは幾つかのグループに分かれていた。目立つのは音楽系の奴らであったが、人数的には私の遊び仲間グループが一番多いうえに、まとまっていた。

勉強はほどほどに、部活は一生懸命、でも放課後は羽目をはずして楽しく過ごした。一癖、二癖ある奴らが多く、やれば出来るのであろう勉強は手抜きしても、遊ぶことには熱心。でも留年するほど、はまりはしない要領のいい、あるいは無難に遊ぶ連中でもあった。

三年に進級してバラバラになっても、このグループはばらけることなく、まとまっていた。私はこのグループの幹事役をやっていたので、皆の連絡先を確保してあった。おかげで卒業後20年以上たっても、一人を除いて全員を集めることができた。

もう一つ、音楽系のグループの一人と連絡を取り合い、打合せと称した飲み会を3~4回重ねて、いよいよ8月の同窓会が決まった。まったく私的な同窓会であり、せいぜい3~40人程度集まれば上出来くらいに考えていた。

ところが、予想外に参加希望連絡があり、実質二ヶ月程度の準備で80人以上の名簿が作られた。もっとも、夏休みに日程を決めたせいで、実際の参加者は70名ほどとなった。

で、当日品川プリンスの一室を借りた会場に行ってみたのだが、誰が誰だかさっぱり分らない。特に参加者の半数以上は女性であり、余計に分らない。

だいたいが、自分が三年の時、なん組であったかさえ忘れてた。そういえば、三年の時は午前中はパチンコ、午後になって登校して、夕方からは予備校に通っていたせいで、クラスの印象がまったくない。

まァ、野球部の顧問であった担任と仲が悪かったせいでもある。授業には出席することに意義があるとのたまうA先生に対し、出席したって授業の内容を理解せねば、出席の意味がないと反論していた私である。おまけに野球部の予算を減らす活動に暗躍していた私は、間違いなくA先生には嫌われていた。

おかげで、三年の時のクラスには、あまり良い印象はない。成績だけなら学年でもトップクラスだった私だが、出席日数というか、遅刻の数が異常に多かったせいで、A先生直々に「お前には推薦はやらん」と断言されていた。

だから、学校の授業よりも予備校の講義を優先していたので、なおさら三年のクラスの印象が薄い。そんな訳で、同窓会でも三年のクラス別に呼び出されて、ようやくクラスメイトの顔が分る始末である。

時々集まって飲んでいた遊び仲間と異なり、このクラスメイトとは、なかなか馴染めない。当時の記憶を辿りながらの、ぎこちない会話を重ねると、次第に当時のことを思い出してきた。

見知らぬ他人が、懐かしい顔に変貌していく不思議さ。その思いは誰もが抱いていたようで、2時から始まった同窓会は5時でお開きとなったが、ほとんどが2次会に参加。夜11時過ぎに三次会を終えた時でさえ20人以上が残っていた。

女性は大半が家族持ちだが、既に子育ても終盤であり、久々の夜遊びに弾けていたらしく、朝まで飲もうと言い出して、翌日仕事の男性陣を怯えさせていた。

卒業して30年、既に数人が亡くなっていたようだが、これを機に仕事以外の楽しみが増えたように思う。学校にはあまり熱心に通わず、勉強だけ優等生であった、ひねくれものの私だが、それでも久々に懐かしい時を楽しめました。やっぱり仕事の絡まない酒は美味しいね。
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焼肉は好きですか 鄭大馨

2011-09-08 12:06:00 | 

肉なら、なんでもいい。

十代の頃は、本気でそう思っていた。だから焼肉食べ放題となれば、その肉が牛であろうとブタであろうと気にしたことさえない。北海道でジンギスカンの食べ放題の店に行った時でさえ、その肉が羊であることも意識しなかった。

要は、肉ならなんでもいい。

実際、肉の種類なんぞ、まったく考慮することはなかった。値段が高い肉が美味しい肉なんだろうな、と勝手に判断していた。ロースもヒレもへったくれもなかった。

まったくもって、情けない話である。少しいい訳させてもらうと、我が家で焼肉を食べることは、ほとんどなかった。ステーキなんぞ夢の国の食べ物で、焼肉さえ記憶が無い。食べだしたのは、大学生になってからだ。

我が家で肉料理といえば、母の作るハンバーグであり、シチューやカレーの中に潜む肉のことであった。たまに祖父が築地に買い物に行った帰りに、スエヒロというお店で牛肉の細切れをお土産に買ってくれたことがあった。

この肉は美味しかったが、焼肉のタレで濃厚に味付けしてあったので、肉本来の味が薄れていた。そんな私にとって、肉とは焼き鳥であり、チャーシューであり、ベーコンであった。

だから、高校生の頃に牛丼の吉野家でアルバイトした時は、賄いに特別に肉を大盛りにしたスペシャル丼(と勝手に命名)を掻き込むことが最高の贅沢、至福の一時であった。

そんな私が大学で、先輩たちに連れられて焼肉食べ放題の店に行った時は、肉の種類なんぞ頭になく、ただひたすらに肉を胃袋に詰め込むことにしか頭になかったとしても、それは仕方の無いことだった。

それほど焼肉に疎遠であった私だが、社会人になると自然と焼肉屋に行くことが増えた。なかでも、長年銀座の税理士として鳴らした故・佐藤先生は、大の肉好きであったため、そのご相伴に預かった私は、そこでステーキを知った。

いやいや、本当に美味しかった。値段もそれなりであったが、その値段に恥じぬ美味であった。やがて、オネエチャンを揃える店で飲むようになると、同伴出勤なるものを致す様になり、さらに焼肉の世界の深みにはまることとなる。

以来、十数年たいへんな出費であったと思うが、おかげで赤身の肉の美味しさは十分に堪能できた。おかげで、安い食べ放題の店には、もはや行く気になれなくなってしまった。やっぱり、美味しいお肉は、高い肉であると、ほぼ確信している。

ただし、それはあくまで、ただ肉を焼くだけの焼肉やステーキに限る。煮込んだり、炙ったり、蒸したりするような技巧を凝らした肉料理は、また別次元のものであることは、私なりに分っている。安い肉を、如何に美味しく調理するかが、料理の醍醐味だと思う。

一方、単純に焼くだけでは十分に味わえない焼肉の世界があることも、うっすらと分ってきた。それが白身の肉、すなわち内臓(ホルモン)肉の世界だ。部位により仕込みも、焼き方も違うようなので、積極的に食べることを避けてきたが、最近その魅力が分ってきた。

私がホルモンに興味を持つようになったのは、比較的最近のことだ。つまり現在、勉強中なのだ。もっと焼肉のことを知りたいし、ホルモンも知りたい。もっと、もっと美味しく食べたい。

表題の本は、一見して分るように在日韓国人の著者が、その学歴に相応しく冷静に日本における焼肉の歴史を述べると同時に、その種類、食べ方、エピソードなどを分りやすく解説してくれる。

もしかしたら極端な反日姿勢や、過剰なほどの愛国心に出くわすかもと警戒したのだが、むしろ自然体で歴史的な事実を客観的に述べるように務めている点が、たいへん好ましく思えた良作です。

焼肉に興味があるようでしたら、一読して損はないと思いますよ。

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