ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

シン・ゴジラ

2016-08-12 12:32:00 | 映画

原点回帰。

元々、怪獣映画ゴジラは、ビキニ環礁の水爆実験を背景に生み出された。云わば、核兵器によって生み出されたモンスターであった。だが、その後、怪獣プロレス映画と化し、子供たちのアイドル化したことで、ゴジラ映画も大きく変貌を余儀なくされた。

若い頃に観た、核兵器に対するアンチ・テーゼとしてのゴジラこそ、原点であると考える人たちと、怪獣プロレス映画こそがゴジラの魅力だと考える人たちに分かれたように思う。

そこへ一石を投じたのがハリウッド製の「ゴジラ」であった。進化した恐竜としてのハリウッド版ゴジラに対する、日本の受け止め方は複雑であったと思う。なかでも、キングオブおたくを自負する庵野総監督の受けた衝撃は相当なものであったと思われる。

その衝撃が、今回の「シン・ゴジラ」として表現されたのだと私は理解している。

この映画は所謂怪獣映画ではないと思う。むしろ、実際に怪獣が出現した場合、現実の有り様を描き出すことに力点が置かれている。なかでも政府の対応の仕方を殊更細かく描くことで、リアリティを強く意識させる。

もっとも、現実の日本政府があそこまで動けるとは到底思えない。阪神淡路大震災や、東日本大震災における日本政府の危機対応能力の低さは、既に国民みんなが知っていることだ。だから私には皮肉にしか思えなかったが、あれだけの対応が出来るならば、たいしたものだと思う。

そしてゴジラである。CMなどで映像の一部を観た方もいるだろうが、今回のゴジラはあまり暴れない。ただ、街の中を動くだけで、破壊をまき散らす。その直前の異様な静けさと、凄まじい破壊は、まるで巨大地震か、台風の通過を思わせる。

地震、雷、火事、ゴジラ、である。

私はこの映画をゴジラ映画史に残る名作だと思うが、反面世界的なヒットは望めない気がしています。怪獣映画でありながら、娯楽映画ではないからです。それでも、私は気に入りましたけどね。

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人の心は計れず

2016-08-09 13:56:00 | 社会・政治・一般

戦後、最悪といっていい大量殺人事件となった相模原の重度障害者大量殺傷事件である。

この事件の発生を受けて、厚生労働省、警察その他関係機関で、今後の方策を巡って騒がしい。また事件当初から、事前に察知できなかったのかとの非難も出ている。

日本の行政が縦割りであり、各役所や関係機関との横の連携が極めて悪いことが、この危険な犯罪予備軍とも云える犯人の残虐な行動を抑えられなかったことの一因であるとの批判が出るのは致し方あるまい。

しかし、役所、警察、病院などを繋げるシステムが未構築であることが、情報の共有化を妨げている最大の要因である。これは、単に役所を批難すれば良いといった問題ではない。

おそらくだが、総務省及び内閣府が動かないと、各行政機関の公的な横の繋がりは構築できない。ただ、実を云えば、いろいろと問題の多いマイナンバー制度は、この横の連絡を可能にする。

例えばだが、ある人物が精神的な異常傾向から、他者を傷つける可能性があると病院などが判断した場合、マイナンバーを通じて警察などに情報が流れることも可能になる。

だが、今のところ、この横の連携はまるで構築されていない。個人情報の保護とかいろいろ問題はあるが、なんといっても最大の問題は、各省庁が情報が横に流れることを厭う傾向が強いことだ。

つまり、自分の役所で掴んだ情報を抱え込み、他に出そうとしない。この役所の縦割り意識の強さこそが、最大の障壁となっている。この壁が如何に高いかは、マイナンバー制度が十分普及しない現実をみればよく分かると思う。

私見だが、マイナンバー制度が十分活かされる時代になるまで半世紀はかかるのではないかと思っている。

しかしながら、そのような各役所、関係諸機関での情報の共有化が出来れば、このような残虐な犯罪は防げるとは思えない。狂っているとしか思えない今回の事件の容疑者であるが、それは事を起こしたからこそ云えること。

事件を起こす前までは、一部の人を除けば普通の人に見えていた。内心おかしいと思う人はいても、果たして、それを警察などに通報できるのか。また、その通報を受けた警察だって、それだけでは動けない。

このような心の奥底に狂気を潜ませた人物を、境界線上の異常者と呼ぶ。精神病理学や行動心理学の発達したアメリカにあっても、この境界線上にいる異常者を犯罪予備軍として具体的に束縛等することは出来ずにいる。

先日のことだが、山手線での移動中、私の隣に座った青年がそれに近かった。外見はこざっぱりして、今どきの若者だと思えた。しかし、スマホからイヤホンで音楽を聴いていたようで、興奮しだしたのか、身振り手振りで踊りだし、挙句に小声で歌いだした。

曲はジブリの名作アニメ「天空の城ラピュタ」のエンディングの曲だと思う。一応気遣ってか、小声ではあったが、はっきり周囲に聞き取れる声で、手をヒラヒラ、上半身を揺らしながら歌いだしたのには参った。

周囲は観て見ぬふり。隣に座った私も、文庫本を読むふりして知らん顔。ちょっと精神面がおかしい青年ではあるが、悪意はなさそうだし、なによりも大人しそうな青年であった。おそらく若干知能が低いのかもしれない。

たまに、このような人を見かけることはあるが、大半が実におとなしいのが普通だ。少なくても、私は周囲に害を撒き散らかすような知的障害者を見たことがない。せいぜい、騒ぐ程度で、注意すると気の毒なくらい萎縮してしまう、可哀そうな人たちだと思っている。

そんな障害者たちを、社会の害だと決めつけて殺傷に及んだ今回の犯人のほうが、はるかに社会には有害だと思う。思うが、それを見分けるのは非常に難しいだろう。

心の闇の問題は、法形式や行政組織では十分対応することが極めて難しいのが実情なのだ。やはり、人の心は計れないものなのだと思う。

率直に言って、この手の異常心理を起因とする犯罪の予防は、非常に難しいと思う。ただ、今回の犯人は、大麻や違法ドラッグなどの使用歴があり、そのことが異常行動の一因となっているようだ。

やはり、脳に直接薬物で悦楽をもたらすような麻薬類は、厳重に取り締まるべきだと思います。

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闇金ウシジマくん 真鍋昌平

2016-08-08 15:31:00 | 

今どきの若者は夢がないと思うことは多い。

いや、声優になりたいとか、IT関係の仕事に就きたいと語る若者はいる。

だが、私が気になるのは、彼らの希望の低さである。見方を変えると、それは未来に希望を持てないがゆえのハードルを下げた夢に思えてならない。もっと辛辣に云えば、生きるための必死さがまるでない。

無理もないと思う。少子化ゆえに、親の家が継げる。親の世代は、そこそこ預金ももっている。なによりも、必死に勉強して、良い大学に入って、有名な企業に入っても、稼げる金はたいしたことない。

おまけに、その有名企業だって、いつ倒産するか分からない。だったら、何で努力なんてするの?

面と向かって、そこまで本音を語る人は少ないが、それでも行動や態度から読み取れてしまう。その稚拙さが疎ましいが、反面具体的な反論もやりづらい。

私だって、そんな若者たちに具体的な未来のための努力を呈示する自信はない。それくらい不安定な時代であるとも云える。

ただ、そんな時代にあっても必死で働く若者はいる。その必死さに見合うお金を得ているかは、いささか疑問ではある。でも、碌に努力も苦労もせずに、悟りきったような姿勢で怠惰を誤魔化す若者よりは、はるかにマシだと断言できる。

若い時には、その時でないと出来ないことがある。若さを裏付けとした体力あってこそ、過酷な労働に耐えられる。いくら頭が良くたって、身体で覚えねばならぬこと、経験しなければ分からぬことってけっこうある。

それに若い時なら、大概の失敗は許される。失敗しないと学べないことも沢山ある。若い時に沢山失敗して、失敗した時の対処の仕方を覚えていないと、年齢を重ねてからが辛い。

冒頭から若い人と書いたが、本当のところは中高年にも同様な傾向がみられる。敢えて働かない、それでいて生活に余裕もなく、貧困なままの中高年が増えている。

中高年の再雇用なり就労は、若い人より難しい。だが、仕事がない訳ではない。仕事をえり好みし過ぎるのも無職の一因である。生きるための必死さに欠けていると第三者的には見えてしまう。

そこが辛い。

そんな人々を見事に描き出しているのが表題の作品だ。普通の借り入れが出来ない人たちが、10日で5割などという超高金利の闇金融に手を染めてしまう。その闇金業者を主人公に据えた本作は、すでに映像化もされてるので観た方も少なくないと思う。

かつては漫画家ではなく小説家、それも純文学を目指す作家たちの領域だと思うが、最近は漫画に先を越されている。こんな漫画を読むと、小説家は何をしているのかと言いたくなる。機会があったら、一度手に取ってみて頂きたい作品です。

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護憲論者とマスコミの責任

2016-08-05 13:23:00 | 社会・政治・一般

甘やかすのも、いい加減にした方がイイ。

またしても北朝鮮がミサイルを発射して、そのうち一基は発射そのものに失敗したようだが、残る一基が秋田県沖に着弾したようである。陸地からは遠く離れており、該当海域に漁船がいたとしても、当たることはまず考えられない。

それでも他国の海域に、事前通告なしでミサイルを撃ち込むなんざ、宣戦布告に等しい乱暴な行為である。安倍政権が抗議をするのは当然である。

ところで、オカシイのは安倍政権を日頃非難し、戦争法廃止だと騒ぐ、平和を愛する市民と、それを応援しているマスコミ様だ。日本の平和が侵されているのに、黙り込んで知らん顔である。

日頃の憲法9条信者たちは、このような現実的な軍事的脅威に対しては、いつも決まって黙り込む。

私は憲法9条で日本の平和が守れる訳がないと考えているが、彼ら護憲派と云われる人たちは、そうではあるまい。戦後の日本の平和は、憲法9条あってこそだと力説しているではないか。

その平和が侵されんとしている時、何故に彼らは黙り込む。

おそらくだが、彼らは本音の部分では分かっているのではないか。憲法9条なんて現実の軍事的脅威に対しては役に立たないことを。役に立つとしたら、自らの善人ぶりを世間にアピールするための錦の御旗としてであることを。

私からすると、彼ら護憲派と称する偽善者たちは、自分たちの善人ぶりをアピールしたいだけ。本当に日本が平和であった欲しいと考えているとは、到底思えない。

もっとも、彼ら護憲派の善人様方は、穴を掘って首を突っ込んで「平和、平和!」と叫ぶだけで、穴から首を出して、現実をみようとしない卑怯者に過ぎない。現実に対峙する勇気はないが、偽善ぶりに固執して自らを省みない愚者であることに恥辱を感じる自尊心もない。

彼らをここまで頑迷な愚者に貶めたのは、彼らを褒め称えるマスコミあってこそだと私は信じている。シールズとかいう愚かな若者たちも、その犠牲者であろう。

バカがマスコミに踊らされて、舞い上がって、有頂天になった。でも、彼らの努力は、無意味であり、無駄であり、無価値である。いくらマスコミが褒め称えても、それが世間の多数派となることはない。大半の日本人は、それほど愚かではない。

青春の情熱を注ぎ込んだ努力が一向に実らぬ残酷な現実が、彼ら護憲派を平和原理教の愚かな信者を育て上げた。

困ったことに、大半の日本人は、その哀しい醜態を見て見ぬふりして済ませてきた。私もその一人だ。身近にそのような哀しくも愚かな平和盲信護憲派がいても、知らぬ、存ぜぬ、関わらぬを繰り返してきた。それが一般的な日本人の常識的な振る舞いだと思う。

でも、せめてマスコミだけは、彼らの眼を覚まさせる義務があると思う。彼らマスコミの無責任な煽動が、この惨めで憐れな平和盲信護憲派を育てたのだから。

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二人の党首

2016-08-04 12:31:00 | 社会・政治・一般

やはり官僚育ちだと思わざるを得ない。

先週末、都知事選挙も大詰めの最中、民進党の岡田党首が、次期党首には立たないとの報道をラジオで耳にした。当然ながら、まだ都知事選挙の投票前である。おそらく鳥越候補の敗退が読めていたのだろう。

その責任をとっての民進党党首辞任は嫌だったのだろう。さすがは保身に長けた官僚出身者だと思う。多分、相当にプライドの高い人だと思っていたし、鳥越候補を担ぐのも、内心嫌だったのだろうと想像できる。

だから、そんな鳥越候補の敗戦の責任を取っての退任なんて、我慢できないことであったのだと思う。派手好きな鳥越氏と、地道に堅実な岡田氏では、水と油の関係なのは、私でも分かる。

それでも敢えて言わしてもらえば、この人は根っからの官僚だと思う。とにかく責任をとるのが嫌なのだろう。これが親分肌の政治家ならば、たとえ負け戦でも、最後まで戦う姿勢を見せて、敗戦は自分の責任だと全ての咎を背負って辞める。

そんな親分ならば、子分たちは付いていく。たとえ負けても鳥越氏は、岡田氏を責めるような発言はしなかったろう。むしろ、次の岡田氏の登板の機会があれば、積極的に応援したのではないかと思う。

一方、党人政治家としての凄味をみせたのが自民党の安倍党首であろう。管官房長官を選挙の応援に行かせる一方で、自分は距離を置いて、冷静に政局を見詰める。小池ゆりこの独断的立候補を誹謗する石原や、森らとは一線を画して、安全地帯に堂々と身を置いておく。

小池であろうと、増田であろうと、自民党としては、どちらでも有利であると見越しての態度。おそらく青天の霹靂であった小池新知事の誕生に蒼くなっている石原親子や、森などオリンピック利権に食い込んでいた連中を、どう処理するかを考えているのではないかと思う。

それにしても、今回の投票は不思議な結果となった。小池ゆりこがどの政党でも、まんべんなく支持を受けているのである。自民のみならず、民進、公明、共産党にまで食い込んでいる。

各党は、この事実を冷静に認識するべきだ。一般党員の支持を得られぬ候補をいくら取り上げても、党一体での応援なんて絵空事に過ぎない。今回、冷静に距離をとって漁夫の利を得た安倍首相だが、改憲の前にするべきことがある現実を、どれだけ認識しているのか、私はいささか疑問である。

あまり、いい気になって欲しくない。アベノミクスは限定的であり、まだまだ日本は不況から脱していない現実を直視して欲しいものである。

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