ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

ふるさと納税への批判

2017-03-24 14:16:00 | 経済・金融・税制

勝手な理屈だよなと吐き捨てた。

近年稀に見る大ヒットとなったのが、ふるさと納税制度であろう。ところが、あまりの人気に、都市部の市町村、特に23ある特別区では税収不足となっている。特に私が住む世田谷区は、税収不足から福祉行政に滞りが出ると、半ば脅しにかかる有り様である。

また、その状況を受けて総務省は、ふるさと納税制度の見直しに着手すると言いだしている。まったく勝手な言い分だと思う。それを安直に報道する新聞、TVもいい加減なものだ。

その一例を挙げたい。

介護保険制度は、各地方自治体が徴収する。そして、その介護サービスを受ける際には、被介護者は窓口で3割を支払い、残り7割を地方自治体が負担する仕組みである。

地価が高い東京都市部では、介護施設を作ること自体難しく、特養ホームなどは大幅に不足している。そのため、東京でも西側の山が多い地域に施設があることが多い。私の母も、奥多摩の山間にある施設のお世話になっていた。車でも片道2時間近い遠方であり、見舞いに行くのも大変であった。

でも、これは割と幸運な方だ。都内を諦め、地方の施設に老いた父母を預けねばならぬ家庭は少なくない。その受け皿が、千葉県や埼玉県、山梨県などにある施設となる。

ここで問題が生じた。都内に住む住民は、その介護保険料を東京都に納める。しかし、その介護サービスを受ける施設の所在地では、窓口で3割支払ってもらえても、残り7割はその地方自治体が負担せねばならない。

結果、千葉県や埼玉県などの東京近郊の自治体の介護保険会計は、赤字に転落した。言うまでもないが、東京都の介護保険会計は黒字である。そこで、赤字に悩む県の知事たちが集まり、東京都に一部負担を求めたことがある。

しかし、当時の東京都知事であった石原は、冷淡に「法律に従ってやっているだけ。うち(東京)が負担すべきものではないよ」と吐き捨てた。石原都知事(当時)は嘘を言ってる訳ではない。それは法令にそったことで、違法ではない。

でも、都民の払う保険料はいただくが、その介護保険の負担は、入所している所在地の自治体が負担するのが当然って、おかしくないか?

はっきり言えば、これは厚生労働省の制度設計の誤りだと思う。もっといえば、赤字に悩む健康保険会計を救い、赤字を地方自治体に押し付けようとした結果でもある。

もし、亡くなった母が、千葉県や山梨県の施設のお世話になっていたら、私は喜んで「ふるさと納税」制度を活用して、その県に寄付したと思う。都民にまともに福祉行政を提供できない都庁なんぞに、税金を払いたくない。むしろ、高齢者を実際に受け入れている地方自治体にこそ、税金を納めたい。

結果、都内の23区のような地方自治体が税収不足になろうと、それは当然であり、必然でもある。特に世田谷は裕福な自治体であり、今まで税収不足に困ることはなかった。そのくせ、区民が喜ぶような行政サービスが足りない、困った地方自治体でもあった。

今更、ふるさと納税のせいで、税収不足などと言いだしても、正直同情する気にはなれない。これまで、如何に区民を満足させていなかった現実こそ、ここで認識すべきだと思っている。

もちろん、介護保険制度を各地方自治体に押し付けた国の責任も大きい。そういった背景を無視して、ただ役所の言い分を垂れ流す大マスコミ様のいい加減さこそ腹が立つ。

ふるさと納税のせいで税収不足だと言うのなら、区の職員の手厚い福利厚生を削減して、区民のための行政をやってみろ。自分たちはこれまでヌクヌクとお手盛りの福利厚生を満喫して、一般庶民を無視してきたからこそ、区民は「ふるさと納税」で、区への納税を減らしたのだと気が付くべきだ。

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豊洲問題の行方

2017-03-23 12:12:00 | 社会・政治・一般

現在、東京都議会では、豊洲問題で関係者を百条委員会に呼び、売り主の東京ガスとの不自然な交渉の実態解明に勤しんでいる。

石原の無責任極まりない態度は不愉快だが、それよりもこの茶番劇を真面目に報じるマスコミの不勉強こそ一番不愉快だ。

豊洲問題の本質は、東京都による臨海開発計画の無理押しである。

前にも書いたが、この臨海地区は元々ゴミ処分埋立地である。お台場も、有明も、そして豊洲もかつては、ゴミ処分場として都民のゴミを受け入れてきた経緯がある。

若い人はご存じないかもしれないが、60年代から70年代にかけて、この東京のゴミ問題の最前線であり、多くの反対運動が繰り広げられた地でもある。それは単なる住民運動ではない。

東京各地から集められたゴミは、江東区を通過して臨海ゴミ処分場に運び込まれた。臭いゴミが通過していくことに憤った江東区では、区長が先頭に立って反対運動を繰り広げた。道路を封鎖して、ゴミ運搬車の通行を邪魔したことさえあった。

その後、ゴミ処分場は綺麗に盛土されて、新たな臨海地区となった際、その土地の行政区分は江東区に大幅に配慮したものとなったのも、そのような経緯があったからに他ならない。

今回の豊洲問題での百条委員会で、石原元都知事が豊洲移転は青島元都知事からの引き継ぎだと証言したが、それは正しくない。私が知る限り、鈴木都政の頃から、臨海地区の再開発は都庁主導であり、青島都知事の頃に豊洲が第一候補になっただけだ。

つまり、東京都庁こそが、豊洲移転問題の大元であり、都議会はその流れに沿って絡んでいただけに過ぎない。私が今回の百条委員会を茶番だと揶揄するのは、これがトカゲの尻尾切りであって、問題の本質を誤魔化す行為に過ぎないと思うからだ。

臨海ゴミ処分場跡地の再開発は、東京都庁主導の一大プロジェクトであった。鈴木都政の末期には、ここに国際臨海副都心を作るといったバブリーな企画が出たほど、都庁が力を入れていた。

豊洲への築地市場の移転なんて、その一環に過ぎない。これは、東京都が長年奮闘してきた長期プロジェクトであり、綿々と引き継がれてきた行政計画の一環である。

莫大な都民の税金を投じた再開発プロジェクトであり、そこでの不正の追及は必要かもしれないが、おそらく最初の主導者は既に故人であろう。だからこそ、現在、百条委員会に呼ばれた関係者たちは、無責任な態度に終始しているのだ。

今、やるべきことは何か。豊洲をどうするのか、築地市場はどうあるべきなのか。これこそ、今考え、検討し、実行可能性を討議するべきだ。茶番劇を追いかけるのではなく、問題の本質を間違えないで欲しいものだ。

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シング

2017-03-22 13:05:00 | 映画

歌うと楽しくなるって、本当なんだよ。

大学2年の時の夏合宿は、南アルプスを三週間かけての大縦走であった。あの赤石山脈は、本邦きっての大山脈であり、アップダウンの厳しい山並みが壮絶なほど凄まじい。

なにせ、毎日森林樹林帯(標高2000メートル程度)から山頂(標高3千メートル)まで上り下りを繰り返すのだから、体力を激しく消耗する。しかし、岩稜帯の縦走路からの展望は素晴らしい。

しかし、それも晴天ならではだ。雨が横殴りに吹き、身体を飛ばされそうになるほど、激しい強風が吹き荒れると、岩稜帯は死の世界へ変貌する。隠れる場所がないので、ザイルで身体を結び合い、必死で下って安全な樹林帯に逃げ込む。

全員で強風に負けないようにテントを強固に設営し、ようやく安全を確保できる。が、しかし、まだ山の初心者が多い一年生は、気持ちが落ち込んでいるのだろう。下を向いて両手で身体を抱きしめるかのように怯えている。

それを見たリーダーは、危機感を覚えたのだろう。急遽、全員にザックの中から歌集を出すように命じた。濡れないようにタッパーに仕舞いこんであった手作りの歌集である。

山の唄が中心だが、フォークや歌謡曲も入れたガリ版刷の歌集である。そして、皆で山の唄を歌うことにした。疲労から嫌がっていた一年生もいたが、そこは鬼の体育会である。反抗なんて許さない。

一年生を囲い込むように座り、間、間に上級生が入り込み、無理やり歌わせる。本気で嫌がる一年生もいたが、バテているので、反抗にも力がなく、逆らう気持ちもスタミナ切れのようだ。

リーダーの意図は分かっている。私ら二年生は、率先して大声で歌う。とにかく空元気でもいいから歌う。上手い、下手は関係ない。最初は小さな声で歌っていた一年生も、次第に声が大きくなってくる。

時々、替え歌を混ぜて笑いをとったり、歌の上手い奴がさりげなく追唱することで、気が付くと全員が歌っていた。しかも笑顔が戻っている。頃合いを見計らって、サブテントでお湯を沸かし、とっておきの御菓子をサブリーダーが運んできて、みんなで少しのブランデー入り紅茶で乾杯して、お菓子タイムである。

ほんの小一時間前には、雰囲気最悪であったテントのなかも、笑顔が溢れている。歌の力って凄いと思う。

もう山に登れなくなった私だが、あの日のことは今も鮮明に覚えている。私にとっても忘れがたい思い出の日であった。

そんな思い出が脳裏に浮かんだのが、表題の映画だ。私は字幕版で観たが、次は日本語吹き替え版で観たいと思う。どちらも、きっと楽しいだろう。春休みのお楽しみとして、良い映画だと思いますよ。

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ベルカ、吼えないのか 古川日出夫

2017-03-21 12:08:00 | 

犬好きではあるが、犬は怖いとも思っている。

子供の頃、犬を飼っていたので、好きなのは確かだ。しかし、幼少時、米軍基地の隣町で暮らしていたので、野犬警報があったことは覚えている。また、カブスカウトの夏合宿で、野犬の群れに囲まれた事もある。

犬が決して可愛いだけのペットでないことは知っているつもりであった。でも、まだ認識が甘かったと知ったのは、20代半ばのころ。

そのお店は、繁華街から少し離れた隠れ場的な飲食店であった。庭には柵に囲まれたスペースがあり、小さな犬が飼われていた。多分、柴犬だと思うが、小屋の前で寝ていて、客には愛想は良くない。ま、いいか。

その店で美味しい食事を頂き、軽くワインも頂き、ほろ酔い加減で会計を済ませた。連れが化粧直しにいっていたので、先に店を出て、庭を見ると暗がりのなかから柴犬が歩み寄ってきた。

軽い気持ちで、膝をついて「お出で、お出で」と柵の中に手を入れて呼び寄せると、近づいてきた。が、ふと違和感を感じた。尻尾をふってない。いや、それどころか鼻に皺をよせて、尻尾は立てている。

やばい!

とっさに出した手を引っ込めた。飛びかかってきた柴犬の牙が鳴るのが聞こえた。お店のご主人が「ゴロ!下がれ!!」と命じると、柴犬は後ずさりしていった。でも、まだ柵の向こうから私の方を睨んでいる。

ご主人が「お客様、お怪我はありませんか」と駆け寄ってきた。引っ込めた手を見ると、その手の甲に、うっすらと赤い筋が走っていた。正直、ゾッとした。

「スイマセン、このゴロの奴、酒の匂いのする人間が大嫌いなんですよ。多分、以前酔っ払いに苛められたのでしょう」と云い、消毒してくれた。私も酔っていたので、気が付くのに遅れたのも悪い。

ちなみに、このゴロ君、体高30センチたらずの小型犬である。しかし、その牙は鋭く、おそらく人間の腕くらい、軽く切り刻むだろう。忘れちゃいけない。犬は本来、狩猟動物でもあることを。

いや、人間は狩猟のお供にするだけでなく、人を殺す道具としての犬も作り上げた。それが軍用犬である。そんな軍用犬を主役にそえたクライム・エンターテイメント小説である。

可愛くもなければ、人に忠実でもない驚くべき殺人マシーンと人の、一世紀にわたる物語である。なんともいえぬ読後感であり、私は読み終えた後、昔噛まれそうになった手をしみじみ見てしまった。

おそらく、犬は人の手により、一番改造された生き物である。人の罪深さは、単に環境破壊だけではないのだと思わされましたね。

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プレミアム・フライデー

2017-03-17 14:30:00 | 経済・金融・税制

笛吹けど踊らず。

休みを増やせば、景気が良くなると考えてのことだろうけど、金曜日だけ15時で業務終了なんて、一部の企業にしか出来ない。役所は可能だろうけど、正直迷惑だ。

本音を言えば、私とて金曜日の夜は早めに仕事を終えたいと思っている。仕事がない時期なら、それは可能だ。事実、あまり仕事のない夏などは、3時で仕事を切り上げることもある。

だが、夜半まで仕事をしていることも珍しくない。お客さんとの付き合いで、深夜まで飲食と打ち合わせをしていることだってある。仕事は顧客の都合に合わせて、臨機応変にやっている。

プレミアムフライデーなんて、私にはまったく意味がないと思っている。でも、活用したい人は、どうぞお好きに。

政府が、このような奇策を打ち出したのは、個人消費がまったく回復の兆しをみせないからに他ならない。いくら投資家向けの景気活性化策がそれなりに効果を出しても、多数の有権者には効果がない。

給与を少し上げたって、天引きされる税金、社会保険等も連動して上がるので、財布の中身に大差なし。これでは、個人消費を増やす余裕なんてあるわけない。このあたりが、御坊ちゃまの安倍総理には分からないのだろう。

批判ばかりするのも何なので、私なりに対案を出してみたい。

まずは期間限定とした上で、昇給分については、それをなかったものとして所得税、住民税、社会保険を算定する。これで昇給分がまるまる手取りの増加になる。役所が大反対するだろうが、役所の打ち出す景気浮揚策が失敗だらけな現実を突き付けてやればいい。

次に休日及びその前日限定で、高速道路の料金一律1000円としてしまえ。これはあの悪政だらけの民主党政権が打ち出した政策でも数少ない成功例。車を使う人は気が付いていると思うが、実は高速料金は昨年より密かに、微妙に値上げしている。だからこそ、この一律1000円は魅力的にみえるはずだ。そして、あくまで休日限定であることが肝だ。

鉄道会社や高速道路公団などは反対するだろうが、これは過去に成功例がある。プレミアムフライデーなんぞよりも確実に個人消費を上向かせる。それにしても、休みを増やせば景気は良くなるといった信仰は、そろそろ疑って然るべきだと思う。

新聞、TVは政府の広報機関役だけでなく、その政府の打ち出す政策を結果で判断する勇気をもって欲しいものが。いくら記者クラブが快適だからといって、いつまでもそれに安住するなと言いたいですよ。

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