入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

        「夏」 (21)

2015年07月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

   「石堂越え」の跡か

 今日は「大暑」とか、しかし牧場(ここ)の気温、朝は15度Cしかなかった。梅雨は明けたらしいが鬱陶しい雨の日ばかりが続くようで、それでもそれが小降りになると待ってでもいたかのようにすぐに小鳥の声が聞こえてくる。それがいい。ウグイス、カッコー、それにあのせわしく鳴く鳥は何という鳥だったか・・・。

 昨日は入笠に関連する古道「石堂越え」と、「法華道」の「赤坂・栗の木立口」の踏査を雨の中、Y君、M君と3人で行った。この古道については「Ume氏の入笠 『夏』(21)、(22)」でも触れておいたが、特に前者の「石堂越え」は、話題にする人も少なく、詳しい資料にも乏しい。ただそれだけに以前から関心があり、一度はぜひ歩いてみたかった。
 少なくともいつの時代にかこの古道は、甲斐の国から信濃の国を通り、遠く京の都まで通じる道の一部であったと古来から伝えられ、信じられてれてきた。長野県教育委員会編の「歴史の道調査報告書」の「46」によれば、「延喜式」に941年、甲斐から朝廷に献上された馬の駒牽きが武徳殿において行われた旨の記述があるとした上で、その馬の経路の一部がこの「石堂越え」で「あったろうとの説もある」と、何ともいい加減な書き方で逃げている。



 「石堂越え」へは、今では廃村となってしまった半対(はんずい)沢沿いの集落を抜けてから、なおも急な林道を行く。行く手が二分する辺りまで来ると、以前に鹿を埋却した場所が近くにあり、異臭がしてくる。左手に進み、川を渡ってから車を捨て、そこからは歩いて林道が尽きるまで行けば、右手に落ちてくる山道に誘われ、登行開始となる。
 法華道ともよく似た雰囲気のある山道で、かつては馬を使って木材を曳き降ろしたのであろう、馬搬(ばはん)の跡が深く道の中央をえぐっている。倒木が道を塞いでる場面に何度も出くわしたが、それらをくぐり抜け、かわし、2時間40分ほどで稜線上を走る入笠から鹿嶺高原へと続く山道(「入笠トレッキングコース」と呼ばれてる)に出た。それまできた道は、そのまま小黒川へと落ちていってるようだったが、それ以上は諦めた。
 稜線に出るまでの約500メートル位は登路が判然とせず、また林道が横切っていたりと苦労したが、ともかくも、かすかな踏み跡をできるだけ忠実にたどるようにした。終了点は現在「半対峠」と呼ばれている最低鞍部ではなく、それよりも入笠よりに出たのだと分かるまでには、しばらく時間が要った。
 この石堂越えの通る山域も、戦後の植林で落葉松が大勢を占めていたが、それでもその他の照葉樹林も残っていて、森の雰囲気を和らげていた。海外のいろいろな国を旅をしてきた同行の二人も、どうしてこんな気分の良い山道が見捨てられたままになっているのかと、惜しんだ。少し整備すれば入笠から、あるいは鹿嶺からのエスケイプルートとしても、使えるだろう。(つづく)

 本格的な夏山シーズン。宿泊施設及びキャンプ場の営業に関しましてはカテゴリー別の「H27年の営業」を、また星空に興味のある方は「入笠牧場からの星空」をご覧ください。

 


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