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これまでも山からの帰り、人気の絶えてしまった山奥の集落を何度となく通った。例えば、戦争がなければ一生海を見ることなどなかったような山奥の孤立した人たちの暮らしの跡を。昨日も、今の人にここで暮らせと言うのは難しいかも知れないと思うような、人里離れた山中に放棄された人家を見てきた。
若い人たちが、世の中の中心で暮らしたいと思ったり、どんな端役でもいいから時代の大舞台に加わってみたいと思う気持ちは分かる。そんな安逸を拒否するような生き方、気概はむしろ褒めたい。それに比べ、都会での暮らしは学生時代だけにして、田舎に帰って安定、平凡な暮らしを望むような若者も増えている。
そんな中このごろは、都会の暮らしから、田舎に賭けようとしている人も少しづつ増えているらしい。これもなかなかの立派な挑戦だと思う。自分の力を試してみる場所は必ずしも都会ばかりにあるわけではない。誰からも指図されず、自然の中で自分で学び、自分の力で実行し、少しづつ目標を実現していく。地味だし、経済的にも多くは望めないかも知れない。それに、向き不向きもあるだろう。それでもやりがいや、生きがいを見つけることができる可能性はある。
40年近くを都会で暮らし、あの時代があったからこの年齢になってもまだ、山の上の牧場で働けているのだと思っている。都会には少し長く居過ぎた気もするが、その意味でも、彼の地での生活は必要だったと思う。ただ、果たして血気盛んな30代や40代でも、今の牧場の仕事をこれだけ続けることができたか、それは分からない。
流れに沿って下ってくると、まだ人里から離れた狭い谷間に、場違いな産廃関連の工場があった。川を挟んで対岸の田圃の中には急ごしらえの集合住宅があって、その前の駐輪場には同じ型の銀色の真新しい自転車が10台くらいきちんと並んでいた。どうやらその工場で働いている主な労働者は、東南アジアから来ている人たちのようで、建物も自転車もそんな彼らのために、経営者が用意したものらしかった。
仕事が終わってから、一番近いスーパーへ行くにも何キロも坂道を下っていかなければならない。暖かい春の日を他所に、薄暗い工場の中で、油まみれになって働いている姿が垣間見えた彼ら、それでも、この国で働く同じような境遇の外国人労働者の中では、恵まれているかも知れない。
そんな彼らと比べたら、過疎化の進む田舎に"一人社長"になって、農作業をしながら自由に生きられるのは、空を飛べないニワトリと、カラスやトンビほどの違いがあるかも知れない。何よりも自由であること、そして努力や工夫が成果として分かる、例えば野菜作りなら、若かったころでもできたかも知れないと、そういう人生をふと思った。
本日はこの辺で、明日は沈黙します。それにしてもこの科白、早過ぎる。