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最近、年齢のことを呟くのは控えていた。ある人には、かなりそのことを気にしているように聞こえたらしい。それでも別段構わないといえば構わないわけで、実際、約1ヶ月前に73歳になって、訃報も時々耳にするようになった。本当はここで、このくらいの年齢になるとどんなことを思い、何を考えるのかを呟いてみるのも、たまには変わった食べ物を紹介するようでいいだろうと考えていたくらいだ。
ただそれが、本人の自覚もないまま漏れていたとすると、精神が失禁状態になってしまったかと、考え直す必要を感じた。毎夜9時間くらいは寝て、1万歩ほどの散歩をし、好きな酒を嗜み、安気に暮らしている。金はないがそれでも好きな物を食べ、誘われれば1泊や2泊の温泉の旅にぐらいなら付き合える。健康診断は久しく受けたことはないが、頭、心、それ以外に格別な不調は感じていない。感覚的には若いころと変化はなく、もちろん、年齢を重ねたことによる人格的陶冶などというものはサルほどにもないだろう。
暇な老人で、老い先の短いことを気にする以外に何の不安もない暮らしをしていると、老人性鬱病などという厄介な病気に罹る人もいるらしい。特に都会人にこの病気は多いらしいが、こちらは田舎暮らしで、もうすぐ山の牧場へ上がり、そんな病とは縁のない暮らしが始まる。だからその心配はなさそうだ。
それでも、年齢のことなど気にしてないという見栄、ふりはしていたいという先人の気持ちも分からないではない。作家などのもっとそこらあたりの心境や考えを、率直正直に書いたものを読んでみたいと思うが、どちらかと言えば「どこ吹く風」のようなものが多い。
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で、敢えて一言呟くと、時の過ぎていく速さは意識している。根底に終局を意識しているからかも知れないが、とにかく速い。平均寿命からすればまだ時間はあるが、これから坂を下るように速度は加速していくということは感じている。覚悟している。ブレーキが効かないということも。
夜中にふと目を覚ました時、あるいは夜の散歩中に、残る時間を考えることはある。ただ強がりかも知れないが、さりとてそれをあまり重く感じるわけでもない。その重さは、むしろ若かったころの方がこたえた、という気がしている。
さてきょうのこの独り言も「どこ吹く風」的に聞こえただろうか。
赤羽さんありがとう。都の暮らしを思い出しながら、想像しながら拝読しました。山梨まで来るなら足を延ばしてはいかがですか。本日はこの辺で。