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夜道ながら、この道を歩いた。その間に、長いと思っていた冬も去って、呆気なかったとまでは思わないが、羽毛服を着て歩いた日もあれば、小雪の舞う中を歩いたこともあって、西の夜空に去っていった冬の星空のように今は、それらの日々も同じように遠去かりつつある。
眠っていた自然が息を吹き返し、その様を逃すまいとこの頃は、夜の散歩を昼にすることも増えた。そんな今、covid-19のせいもあるが、それ以外の理由でも、今春もふる里に帰れない友人知人がいる。病気を患っている者もいれば、ふる里との縁が切れた者もいる。逆に、帰りたくとも縁を切られてしまった不幸な者もいる。
柳の黄緑が日毎に濃くなっていく天竜川の風景とか、桜と競うようにツツジが花を咲かせ始めた里山、山裾に張り付くように点在する家並み、その背後の残雪に輝く遠くの山々・・・。こういう情景を知らずに、知ろうともせずに老いを深め、大都会のその端の方の、あの家々の屋根しか見えないような季節感の乏しい街で、細々と一人暮らしている。華やかに暮らした時代もあっただけに、味気ないだろうと言えば、仕方ないという返事がか細く返ってくるだけだ。
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年を取ったら、田舎で暮らす方がいいとつくづく思う。昨日は散らし寿司を作り、ボケの花の満開を見ながらそれを食べ、鯛の昆布締で熱燗とビールを飲んだ。どちらも味は今一歩だったが(クク)、そういうことをする気になれるのは春を迎えたこの田舎暮らしのお蔭で、一株のカタクリのお蔭でもある。タケノコも用意しておいたが、糠を取りにいくのが面倒になって人に譲った。タケノコのアクを取るには焼くのが一番簡単だと言っていたが、さてどうしたか。
若い人たちは大いに都会でもがき、闘えばいい。そして老いた者は、幾たびもの波頭を超えた船が穏やかな港に帰るように、都会を離れ第2の人生を始めることを考えてはどうか。いびつな人口の偏りも少しは解消するだろう。ここには、どんな名画を見るよりか、どれほど評判の演奏に酔いしれるか、そんなものは充分に補って余りある自然がある。いやいや、渓を流れる清水が、どれほどの銘酒よりかも美味いなどと「One Man's Wilderness」のあの人を真似て言うつもりはないけれど、え、ご同輩。
来週13日には上に行き、富士見の行政関係者と会うことになっている。少しづつ、また山の牧場での暮らしが始まる。ここへは、まだ後進は現れないようだ。
M氏ご夫妻、Toirinさん、5月の山で会いませう。
本日はこの辺で。